カッター拭くから大丈夫

知らない子供二人をタクシーに乗せる。運転手に紹介状を渡し「これでよろしく」そう言ってその場を離れた。紹介状の内容も、子供の行き先も知らない。
適当に入ったバーのカウンターでサンドイッチをオーダーし、カッターナイフで半分に切った。隣に座っていた知らない人が「もう前のあなたには戻れないけどいいのかい」と言う。私はそちらを見ずに「カッター拭くから大丈夫」と答え、半分になったサンドイッチを食べた。

[2011年11月30日の夢]

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画像は以前作ったコラージュです。コラージュで絵や文を作るのも好きだ。組み合わせから思いがけないものが出来るのが楽しい。夢の記録が好きなのも、こういう要素があるからなのかもしれない。

人間卒業式

    人間卒業式に出席することになったため、慌てて家中の白いものを身につけて準備していた。

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[2011年11月12日の夢]


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    私は去年、上海から台北に引っ越して来た。だいたいのことには慣れたけど、今でも「なんだこれ」と思っていることが一つある。ゴミ出しだ。

    台湾にゴミ置場というものはなく、収集車に直接渡すシステムになっている。決められた時間と場所にゴミを携えて行き、現れた収集車に自分で投げ込むのだ。収集車がやってくる夜の早い時間、回収ポイントはゴミ袋を手にした市民で溢れかえる。

    なんでもゴキブリ対策だとか言われているが、詳しいことは知らない。はじめの頃はこのルールがすごく嫌で、街に少しだけあるゴミ箱にわざわざ捨てに行っていた。しかしある日ばれて取り締まられて以来、諦めてルールに従っている。

    上海にいた頃は、聞くところによるとこの一年で大分事情も変わって来ているみたいだが、ゴミは24時間365日アパートの出口に分別なしで捨て放題だった。その生活からの変化があまりにも大きく、台北でゴミ袋を持ってじっと収集車を待つ時間、これは本当になんなんだろうという気分になる。

電車製の街

   電車で来ることができる最も遠い場所、と言われている「果ての地」にやってきた。ここでしばらく暮らそうと考えての事だったが、私はこの土地についてほとんど何も知らなかった。私だけでなく、ここに来るすべての人がそうだった。そもそもの情報量からして不足していたからだ。

    到着してまず、ここから出る電車はないということを知った。駅員に聞いたところによると、たどり着いた電車の車両は全て回収・分解されこの街の資源となる。それでもたくさんの電車がやって来ることがこの土地の誇りだそうだ。

    街を歩くと、建物の壁や窓、看板、路上の街灯やカーブミラーなどに車両の部品が使われていることに気づいた。吊り革を使った手提げ鞄の店なんていうものもあった。私はできたばかりだという高層ビルを訪れた。展望台とホテルとコンサートホールが入っていて、やはり解体した車両から作られているが、あえて電車感を出さず現代的なデザインにすることで意味を解体し云々ということだった。

    コンサートホールの入り口に映画上映中、と書かれた立て札があった。窓口でなんの映画がみられるのか聞くとパンフレットを渡される。「猫探偵の大冒険」というタイトルで、何だかつまらなさそうだと思い、やめときます、と言って返す。すると窓口の係は「どうして猫の映画を上映しているか?それはこの街の……」「猫探偵というのはそうした消費社会における……」などと全く関係のない話を始めるのだ。ほかにもこんな映画を上映している、のところでさすがに怖くなってきたので「あの、お釣りもらえますか」と遮った。黙って微笑みを浮かべる係からお釣りを受け取る。

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    その場を離れてから、チケットを受け取っていないことに気がついた。引き返し、係が先ほど並べたチケットを一つ一つ確認する。「猫のカツアゲ」「猫の大乱闘」ーー。そこでふと我に返った。何かがおかしい。私はいつチケットを買ったんだろう?    この街には特殊な仕組みがあるのかもしれないと考えた私は、「果ての地」の自治体が行なっている講習を受けることにした。

    説明会が開かれた自治体事務所の小さな一室は参加者でほぼ満席だった。「まずはこちらをご覧ください」パンフレットが配られたが、なぜか受講者のプロフィールが並べられているだけだった。「何だこれ」誰かがそう言って席を立ち、何人かが後に続いた。その後、受講者による課外サークルの紹介が始まり、講習自体についての説明は一切ないまま説明会は終わった。釈然としなかったが、課外サークルの一つである自衛団には興味を持った。参加したかったが、講習の受講者しか参加できず、また今は受講を受け付けていないとのことだったため諦めた。

    しばらくして私は街の定食屋に職を見つけた。定食屋というのは表向きの姿で、その実はある闇の組織を倒すことを目的に作られた戦闘集団だという。自衛団のことを忘れていなかった私は、そのことを知ってとても嬉しく思った。私は二匹の「ちから」という生き物を与えられ、日々戦いに従事した。敵対する組織については一切教えてもらえないため、私たちが実際のところ正義なのか悪なのかわからなかったが、戦い自体にやりがいを感じていたので気にならなかった。私の身体は日に日にたくましくなり、ちからたちも大きく育ち化け物のような姿に変化していった。

    私が所属するチームはある日、日本のトウキョウという場所にある定食屋=戦闘集団の組織の本部に行く事を命じられた。私以外のメンバーは全員、街を出たことがないという。「もう戻ってこられない気がする」と一人が静かに言うので、私は「大げさだよ」と笑った。

    電車がないので、徒歩やバスで次の街まで出る。何日もかかってたどり着いたトウキョウで疲れ切った我々を迎えたのは、私には懐かしく、他のメンバーには真新しい国際都市の文化だった。誰かが「本部に行く前にさ、観光しようよ」と言った。もしかしたら誰もそんなこと言っていないかもしれない。とにかく私たちは夢中になって遊んだ。誰もが旅の目的を忘れているようだった。

    戦闘、闇の組織、どれもばかばかしく思えてきた。定食屋で世話をしていた二匹の犬のことが頭をかすめたが、もともと私が連れてきたわけではないし、責任を感じる必要はないだろう。しかし、どうして同じ「ちから」なんて名前で呼んでいたんだっけ?いくら考えてみても思い出せないのだった。

[2011年11月29日の夢]


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    私は電車の夢を本当によくみる。ここに書いていない、内容をよく覚えていない夢でも電車が出てくる割合がかなり高い。駅舎やホーム、車両自体とさまざまな電車に関連する場面を夢で頻繁にみている。

    思えば場所に関するものも多い。ある街について、ある地点から地点への移動について、空間の広がりについて、場所という概念、座標としての地点について、などなど。電車の夢は、場所間の移動と言う意味でこれらの一部とも言えそうだ。

    座標といえば、昔読んだ物理の本に出てきた世界線という概念が印象に残っている。宇宙における位置と時間の推移を線で表すもので、例えば地球の世界線は太陽の周りを一年かけて回るため、位置(緯度と経度)を横と奥行き、時間を高さ(上が未来)で表す3D座標でみると、世界線は螺旋状に上へ向かって伸びていくことになる。

    本ではこの世界線に、現在から放射される光波が形作る未来光円錐と、現在にたどり着く過去光円錐というものもでてきた。未来光円錐の内部にあるできごとは現在からたどり着くことができ、過去光円錐の内部にあるものは私が訪ねることのできたことであるというものだ。

    このモデルは宇宙での空間と時間の隔たりを説明するものなのだが、なんだか面白くて、以来時々自分の世界線を図で想像するようになった。今いる地点から、放射状に広がる円錐があって、その中に間に合うできごとがあるなあ、とか、国を跨いで移動する時には世界線が大きく動いた、とか。言ってしまえば当たり前だけど、例えば私が台北にいたら1時間後の実家の夕食には間に合わないというのも、位置がずれて円錐におさまる範囲が変わったと言い表すことができる、それがなんだか楽しいということかもしれない。

尊大な魚

    私は中学生で、友達のロッカーの使い方にブチ切れていた。「何そのしまい方」「別にいいじゃん」と互いに怒鳴りあった。しばらくして怒りが冷め、気まずいなと思っていると友達が画用紙を持ってこちらを見ている。画用紙には「温かいからあげ」と書いてあった。どうやら一言ギャグを書いたつもりらしい。そのまま見ていると、画用紙はどんどんめくられていった。何枚目かの「すごく遠くの牧場」で私が耐えきれず笑ってしまい、仲直りした。

    気分が良いので何か特別なことがしたいと思い、放課後一人で洞窟に行った。地底湖に大きな岩がある。しかしよく見るとそれはニシキヘビをくわえた茶色の巨大な魚だった。ほとりに200000000(中略)00000000mと書かれた立て札があることに気づいた。これではゼロがいくつあるのかわからない。辺りの岩には魚の分泌物が結晶になって付着していた。白、赤、青に輝いており宝石のようだった。

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    あんまりきれいなので、魚にばれないようにこっそり集めていたが、ふと魚に目をやるとこちらをじっと見ている。慌てて「綺麗な石ですね。せっかくなので並べておきますね」とごまかし、並べているふりをした。すると魚の方から「そんなんじゃだめだ。単純に色で分けようなんてのはセンスがない。形と色を含めてそれの表すものを考えたまえ」と聞こえてきた。しばらく考えて、赤くて尖っているものと白くて丸いものは同じだということに気がついた。私は「勉強になります」と魚に言い、長い時間をかけてそれを分類した。

[2011年11月16日の夢]


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    哲学関連の書籍で知られる永井均さんが先日、ツイッターでこんな発言をしていた。

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ここで語られている「いたち」は色と形が完全に連動したものなので私の夢で魚が言ったものとはちょっと違うけれど、どこか共通したものを感じて面白いなと思った。

永井均さんの本は、『私・今・そして神――開闢の哲学』などを少しだけど読んだことがあって、すごくいいなと思っていたのできっと影響を受けていたのだろう。

このツイートで詳細されている本は未読だけど、読んだら魚の言っていたことがより理解できるかもしれないのでぜひ読みたいなと思った。

幽霊VSビッグブラック

    友人と山中の人里を車で走っていた。信号待ちをしていると、真横に真っ暗な家が見えた。「火事で一家全員が焼け死んだ家だよ」と運転する友人が教えてくれた。

    ちょうどその時、人がどこからともなく現れ、真っ暗な家に入っていった。入り口を通る時に、そこにない扉を開けるような動作をしていた。幽霊だ、そう思いぞっとした。友人も見ていたようだが、「人が住んでいるんだね」などとのんきな事を言っていた。

    ふと交差点を見るとうずくまる丸焦げの少年がいることに気づいた。友人はまだ気づいていない。後の車が猛スピードで発進し、信号を無視して追い越していった。私も早くここを通り過ぎたい。そう思った瞬間、丸焦げの少年に気づいたらしい友人が、「うわー」と叫んで車から降り、走り出してしまった。

    私も降りて追いかけようとしたが、丸焦げの少年が立ち上がり歩き始めたので、とりあえず車に戻ろうと振り返った。しかしさっきまで乗っていた車はビニールシートがかけられており、めくるとめちゃくちゃに壊れている。少年は笑っている。友人の元へ走ると車の幽霊がでたらめに走り回りながらこっちに来る。私たちはすぐそばのマンションに逃げ込んだ。

    エレベーターに慌てて乗り込み、適当な階数を押したが、それが4階であることに気づいて3階を押した。なんとなく4という数字が死を連想させて怖かったからだ。ふと振り返るとランドセルを背負った一人の男の子がいた。3階に着いたのでまた振り返ると、ランドセルの子供は3人になっていた。並んで降りていくランドセルたちを待って、私たちも出た。誰も何も喋らなかった。

    エレベーターの外は部屋のようになっていて、伯母がいた。伯母に経緯を話すと、それは本当によくない、大黒様を呼ぶしかないと言った。しばらくして光り輝く巨大な伯父が現れた。

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    伯母は、伯父は大黒様になったのだと説明した。伯父の光で霊たちはおとなしくなったらしい。私はすぐに日本を離れた方がいいと言われ、船とジェットコースターを乗り継いでヨーロッパに逃げた。向こうでは雪が積もっており、私は買出しに出かけたスーパーでパスタの種類に悩んでいた。

[2011年11月15日の夢]


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幽霊を見たことはないし、霊魂の存在を信じているわけではないけれど、子供の頃からどうしてもお化けが怖くて仕方なかった。

本を読んでいると突然出てくる妖怪やお化けの話。クラスメイトの女子が大好きな都市伝説や幽霊目撃談。落とし穴はそこら中に潜んでいて、落ちるとしばらくは帰ってこられなかった。一人で歩く道、一人で寝る寝室が無限の可能性を秘めた恐怖スポットに思えた。

大きくなったら真っ暗な夜道も平気にならなければないのか。そう考え本当に憂鬱だったが、未だに真っ暗でなくても人気のない夜道は恐怖なのだった。

ある施設からの脱出(2)

(1の続き)

    友人が本当に工作をしたか、したとしてそれがどういったものかはわからないが、翌朝、施設の人間が現れ私を出してくれた。指定されたバスに一人で乗り込む。座席に座る私の目の前には、小柄な女が一人立っていた。彼女はこちらをじっと見つめた後、私の頬をギューとつねった。びっくりしたが、こちらも負けじと彼女の腹に手を当てたぷたぷと揺らしたところ、「何なの」「信じられない」とぶつぶつ言いながらバスを降りていった。

    女を降ろしたバスが進み出した後、私は「お、こんな所にこんな店ができたのか」などと口に出しながら、後方を覗いていた。降りていった女が気になったからだが、他の乗客にそのことを悟られたくなかったのだ。すると近くに座っていた男が「鞄屋だね。セールをやっているようだ。調べて差し上げよう」などといいながら携帯をいじる。参ったなと思いつつ、私はその人とバスを降りているのだった。

    鞄を見ていたら、男が「このまま二人で逃げよう」と言う。何から逃げたいのかよくわからなかったが、私もこのまま家へ帰り着けるかわからないため承諾した。森の中にある小屋みたいなその人の家に来てみると、小さな天井に布が張り巡らされており、その上にうさぎのぬいぐるみのようなものがいた。こちらをじっと見たのち、落ちてきて私の手を思い切り噛んだ。布の上に放っても、何度も落ちてきては噛みついてくる。そうするうちに、ぬいぐるみは巨大な蜂に姿を変え、ものすごい勢いで攻撃してきた。

    私たちは小屋を出て、森の方へ向かった。ネバネバした谷があるから、そこに追い込んで出られなくしようという事だった。谷まで来た私たちは、崖の中腹の細い道まで出て蜂を誘い込んだ。崖には人間の腕がたくさん生えている。一本引き抜くと、根が繋がった十数本がまとめて落ちてくる。これを使って谷に蜂を埋めるという作戦だ。

    しかしタイミングがうまく合わず、がらがらと落ちてきた腕がぶつかり男はバランスを崩してしまった。私はすんでのところで落ちてきた腕を取って男の方に伸ばした。男も別の腕を掴んでこちらに伸ばした。すると腕の手同士がぎゅっと掴みあった。とても気持ちが悪い光景だった。蜂は無事で、こっちを見て笑っていた。私はなんとか引き上げようとしたが力が足りず、男は落ちて死んだ。

    男の小屋に行くと別の男が住んでいた。誰だと聞くと、前ここに住んでいた人に、僕が今日からなったのだという。でも別人でしょうと言ったが、しばらくぽかんとして、名前を引き継いだから僕はその人だし、その人は今は僕だという。

    しばらく聞き回って分かったことには、この辺りでは人は入れ替え可能で、名前さえ名乗れば姿形はおろか性格や記憶も違うのに誰も気づかないし気にしない。私が違う違うというのが他の人たちは理解できないらしかった。その場所を占めてその名前を与えられればその人なのであって、それ以外のことは判断できないらしい。私はそのことに気づいて、げっそりするくらい泣いた。

[2011年11月13日の夢]


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    夢の中で存在しない人に対して懸命になることがたまにある。起きてみればその人は知らない人だとわかるが、大切に思っていた気持ちはなんとなく残っていて、不思議な気分になる。

    夢で感情が大きく動いて、寝たのにすごく疲れるということもあり、健康には良くなさそうだがこうした不思議を体感する楽しさはなかなか捨てがたい。

    テッド・チャンの新刊が今年発売されるらしい。前作「あなたの人生の物語」の読書体験は、私の中で夢で会った大切な人の記憶みたいに残り続けている。本当に嬉しい。

ある施設からの脱出(1)

    「まもなくここに洪水が起きる」と友人が言った。ダムと川に挟まれたこの町に水の逃げ場はなく、たくさんの人が死ぬだろうと訴えるのだ。私たちは計3人で逃げることにした。

    一人が浮き輪を用意してくれたので、借りる。それを身につけた途端水が胸元まで押し寄せた。浮き輪で水面に浮かびながら進む。プカプカと呑気な見た目で、とても非常事態とは思えず楽しい。一人が「私の浮き輪、穴があいてる」と騒ぎ出したが、楽しくてそれどころではないので、まあ、大丈夫だよと適当に言った。

   進んでいくと流れるプールのようなところに出た。急に日差しが眩しくなった。プールサイドには水着姿の男女がくつろいでいる。二人の姿は見当たらない。なんだかよくわからないまま流されていくとやがて行き止まりになり、水中から伸びる階段の先には「出口」と書かれた扉があった。出口の向こうは静かな廊下で、いくつかの個室に繋がっていた。中にはベッドがあり、シャワーやトイレも備えている。帰り方がわからないので、今日はここに泊まることにした。

    そのまま何日か過ぎてしまった。部屋の外の通路を何度か探索してみたが、出方がわからなかった。入ってきたはずの扉さえ見つからない。たくさんの個室と大型スーパーが一軒あるということだけわかった。大型スーパーにはいつも百人近くの人がレジに並んでいる。初めて見たときはこんなにたくさんの人がここに住んでいるのか、と驚いた。彼らはいつから、どうしてここに住んでいるんだろう。気になったが、色々と想像すると怖くて聞けなかった。

    ある日スーパーから部屋に戻る途中、背後からカートを押す女性がものすごい勢いで迫ってきていることに気づいた。あっという間に私を追い越して、すごいスピードで進む。なんとなく、置いていかれたらいけないような気がして慌てて走ったが、向こうも走りだした。カートの車輪を上手く使い、差をつけていく。

    やがて通路が3つにわかれた所に着いた。初めて見る場所だった。3つにわかれた通路にはそれぞれ「男性用」「女性用」「男性同性愛者用」と書かれた札が立てかけてあった。女性が男性同性愛者用の方に入って行くので、私は「そっちは違うのではないですか」と必死に叫びながら追いかけた。突然通路が広くなり、ホールのような空間が現れた。真ん中の舞台では、抱き合う男性二人の横で彼女が踊っている。こちらを見て「私は男よ!」と言った。私は彼の性自認を決めつけてしまっていたことに気づき、申し訳ない気持ちでいっぱいになり謝った。

    その夜部屋ですることもなくぼんやりしていると、備え付けの固定電話が鳴った。一緒に町を出た友人からだった。どうしてこの電話番号を知っているのか、町はどうなったか、色々聞きたいことはあったが、私の精神は限界だった。「ここから出たい」そうやっとの思いで伝えた。友人は、私がこの場所を出るための工作をしてくれるという。(続く)