土も食えない

   近未来の日本では土地という土地が墓で埋め尽くされそのほかの区画も非常に小さくなっていて、家を建てる場合は、既にある建物から突き出すように作る。もし土地を使うと墓をたくさん潰すことになり、大勢の子孫に賠償しなければならなくなる。


   私は植物が見たかった。木も草も花もここでは珍しく、金持ちが集めるぜいたく品だ。そもそも豊かな土がないので、大きく育てたり分けたりすることが難しい。


   ある日私は入り組んだ建物の間の梯子を伝って「庭」に侵入した。庭といっても、私たちが想像するものとは大きく違う。建物の上にいくつも建て増した住宅の一角にある、広い屋上のことだ。こんな空間でも、私なんかが一生働いても買えるかわからないくらい、高価なのだ。


   殺風景なコンクリートと鉄骨の足場からなる「庭」の一角には、シクラメンと大根のポット苗がいくつか並べられていた。シクラメンは赤い小ぶりな花をつけている。後ろから「土が買えなくて」と声がして、振り返ると一人の男性が立っていた。この場所の主だった。


   「興味はなかったんだけど、もらったから。でも土が足りないでしょう?弱ってきたよ」。大根の葉に触ると、たしかにしおれている。私は、水を与えたほうがいいことを伝えてみた。彼はおどけたような顔をして「植物が水を飲むの?」と笑った。

20111211日の夢]


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夢に何度も出てくる同じ場所がいくつかある。知らない場所なのに、何度も出てくるために私にとってはおなじみの場所として存在している。たとえばあるデパート。デパートの近くからなら行き方もわかるし、建物内のどこにどんな店が入っているかも知っている。出てくるたびに商品が入れ替わっているので、毎回新鮮な気分でウィンドウショッピングを楽しむことができる。

一方、夢に一度見たきりになっている場所もたくさんある。いつかまた出てきて、パズルのピースが埋まるように空間同士が繋がっていったら面白いのに、と思う。

牛人間の祭

   時間と空間の操作によっていろんな場所の古い文化をディスクにデータ化し保存したところ、各データの中で時間が進んでしまった。保存された文化はほかの文化との交わりや淘汰なしに、閉ざされた空間で独自の進化を遂げていた。あるデータの中ではミノタウロスのような牛人間が生まれていた。つまり体が人間、頭が牛なのだが、頭部にはさらに首だけ人間も寄生している。一体何がどう進化したのかはわからない。私はそんな牛人間がいるデータの中の世界へやってきた。


   牛人間たちは互いに閉じ込めあっているのか誰かに閉じ込められたのか、ずらりと通りに並ぶ小屋の中に一体一体入っていた。私がそこを歩いてゆくと、小屋の鉄格子から寄生しているもしくはされている首だけ人間がにゅっと伸びてこちらを目で追うのだった。そのデータ上の地はロシアとラオスが合体したような雰囲気の場所で、牛人間達はそこの宗教の祭に参加しては奉仕しお金を集めていた。


   私は他のデータの中の世界へも訪れた。壁だけになった世界もあり、縦に街がひろがっていた。また別のデータでは、頭が霧状に広がっている子どもが「ね、これが死っていうんだ」と言っていた。私はそんないくつかの世界で何日かずつ滞在していたようだ。それは旅行のようでもあり、なつかしい暮らしのようでもあった。

20111030日の夢]


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寄生虫や深海魚などはしばしば奇妙な進化の一例として関心を集めるが、生命の進化というのは本当にグロテスクなものだなとよく感じる。

生命は原核生物からあらゆるフィールドに展開し地球を埋め尽くしたわけだけれど、自分では交尾をやめられないカイコガや、胎内できょうだいと繁殖する虫(忘れた)、自分では体温を保てない小型犬、目をなくした魚、そういう生き物も私たちの一つの可能性なのかみたいな事を思ってしみじみしてしまう。

村上龍の『五分後の世界』に出てくる「退化」した人類は、目がなく腕が縮み地下で這って過ごし、延々セックスしているというものだったが、それも生命の市場開拓といえばそうなので、そういう生き物が気持ち悪いのではなくて生物がそもそも全部気持ち悪い。


子供たちの御本尊

   二メートルほどの台の上に母親の亡骸を横たえながら少年が「いまや彼女の事を見つめるものは誰でもなく全ての人である上(かみ)の様、ただ一人であり全ての」と呟き、また別の少年は「枯葉、生きざまと死、死にたい」と叫び繰り返し閉じた扉にぶつかり続けていた。たくさんの人たちとバスに乗り夜の住宅街を期待の空気の中眺めていると、路上に作業服を着た人間を先頭にR2-D2C-3POがそれぞれ反対方向から十体ずつ列をなして規則的なリズムで現れたので、バスの中は「ロボットの行進だ!」という歓声でいっぱいになった。二手から集まったロボット達は作業服の人間の指示で住宅の一軒一軒に入ってはあらゆる機械類に電気を通して回っていった。私をはじめ、バスの中の人たちはその様子を真剣に見つめていた。


   しばらくした後、R2-D2が二体ほど暴れ出した。何かを叫びながら、回転しながらでたらめに走り出した。あたりは混乱したが、作業服とほかのロボット達が暴れる二体を取り囲むようにして引き揚げると、何事もなかったかのように静かになった。私たちはバスを降りてついさっきまでR2-D2が暴れていた家に入った。家の中はあらゆるものが散乱してそれらを子供達が囲っていた。私は物々を一つ一つ手に取り「これは誰のかな」すると一人ずつ手を上げるので渡す。全てを配った。部屋の隅に小学生と中学生の二人組が立っていて、傍にしつらえた棚をにこにこと眺めているので、「片付けたんだね、偉いよ」と言うと中学生「ものは」小学生「大切に」中学生「しなければ」小学生「なりません」どうやら二人は同一人物であるらしかった。二人が示す壁のスクリーンをみると、ドラえもんが映っている。ドラえもんは語り出した。「ものにはそれぞれの家があります。家に帰してあげましょう」どうやらここには子供しかいないのだ。この家以外もそうだろう。一帯をロボット達が管理し、子供達の教育の様な事もしているらしい。子供達の態度を見ると、スクリーンのドラえもんは彼らにとって先生というより御本尊またはビッグブラザーのようであったが。


   私たちはバスに戻る。宿に向かうのだ。集合時間ちょうどに最後の一人が乗り込むと、ガイドがその一人に激怒した。「あなたどういうつもりですか。迷惑を考えなさい」遅れていないはずなのに、集団行動なのに、なぜだろう。そう考えていると、ガイドは車内の時計を指差しながら「残念でした!」すると時計の示す時間が一気に二十分進み、「ほら、あなたは遅れていた」それで皆は納得したのだ。私も「ははあ、あの最後の人が乗り込む一瞬で二十分進んだのだな、迷惑な話だ」などと思った。宿に着く。ガイドがいないと思ったら奥から着替えて出てくる。この宿の経営者でもあるらしかった。横には彼女の夫らしき男性も一緒であった。彼女は八朔という名で、かつて女優をしていたという。「そのため常に芝居がかった言動なのです」夫は言う。八朔は果物の八朔の説明をわざとらしいまでの芝居口調で話しだす。内容が前後したり同じところを繰り返したりしながらそれはいつまでも続いた。わけがわからない。

20111023日の夢]


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ブログの存在を忘れていた間に、上海から台北に引っ越しました。

小菊たちもこうきちんと扱う事で自我を持ちます

   ある原始的な生活を送る村はかつて集団失踪事件があったという。未解決のその事件の謎を解き明かすために、村人たちの集合的無意識を解析する調査が行われた。結果はある何かの記号。誰もその意味はわからないという。


   そこで私は試しに、ユリの蕾をひっくり返して村人たちの前で咲かせてみせた。「ひい、残酷」という声があがった。しかしやがて彼らは慣れたのか何も言わなくなり、蕾と組み合わせて墓花にするための小菊を集めて持ってきた。そして私が組んだ墓花に値段をつけて路地に置くのだ。「小菊たちもこうきちんと扱う事で自我を持ちます」などと言い出した。


   それが糸口となり、彼らの記憶をたどる事に成功した。私はその記憶の中に意識を移してそれを見た。何十年前かの村の小学校の校庭で、十歳ほどのかつての村人たちが大きな穴を掘っていた。その大きな穴には大人から子供まで十人ほどが目を見開いたまま死んで横たわっていた。


   掘っている者たちの仲間の一人が、手に銃器を握り扱い方を隠語にして繰り返し唱えていた。それは実験で導き出した記号の読み方にそっくりだった。


   どうして殺したのか。私は記憶を過去へ遡る事にした。現れたのは隣町の商店街だ。隣町では、商店街で登録するとナカマというものになる事ができるという。大量殺人はその登録権を奪うためのものだったようだ。


   ナカマになると、他のナカマとの間で暗黙のうちにおぞましい侵害が行われるという。私はその内容を知って戦慄した。人々は干渉し合い、良き振る舞いを期待し強制するのだ。


   十歳そこらの子供達は、ナカマ登録権を奪い別の子供に与えるために、その後もたくさんの村人を殺し続けた。


   時を経て小学校は廃校になり、小学校跡ホテルとして隣の病院跡ホテルとともにこの村の唯一の産業となった——。私はそこで意識を外した。このような恐ろしい事件に関わるべきではないと強く感じたし、自身の疲労も酷い。そもそもといえば私はこの場所に病院跡ホテルを目当てにやって来たのだ。そう思い出し、そのホテルに向かうことにした。


   たどり着いたその建物は何年もまともなメンテナンスを行ってないためいまにも崩れそうだった。門近くにはなんの変哲もない木の枝が刺さった大きな透明の花瓶がいくつも並んでいた。雨ざらしのため中にはゴミが混ざり、枝は落ちそうにプカプカ浮いている。装飾どころか呪術のたぐいの様であると思った。


   建物の中では体育館みたいな広い一階に、かつての子供達である村人とその子供が粗末な木の小屋を建ててボロをまとって暮らしていた。彼らは薄いスープの様なものを食べ、ほとんど喋らなかった。しかし、彼らが唯一夢中になっているものは歌であるらしい。毎晩夜になると中庭でコンサートが開かれていた。機材は粗末で、何がどうなっているのかわけがわからなかった。一人が音の途切れるマイクを持ち歌い、なんの楽器だか全くわからないが、何かを演奏しているらしい音がいくつも繋がったボロボロのスピーカーから響いていた。だが演奏している人はどこにもいない。歌う一人を五、六人が囲んで座り熱心にみつめているだけにしか見えない。


   やがて歌う者が交代し、取り巻く五、六人も交代した。また同じような音がスピーカーから響いた。不思議に思って近づいて見ると、取り巻く五、六人が手を細かく震わせていることに気づいた。他のものたちに尋ねると、そうやって念波を送り演奏しているのだという内容のことをいった。私は嫌になってきたため中庭の隅まで行って座り込んだ。同時に乱闘が始まった。歌っていた者と別の歌う者、五、六人と別の五、六人とで各々つかみ合い大きな声が響いた。


   私はこの村に来る前に通った別の小さな村の事を考えた。いまいるこの村にやや近く、現在の日本の首相の出身地だがあまり知られていない。この村の秘密と関係があるのかもしれない。美味しい蕎麦を食べられる店が一つだけある様な村だ。蕎麦を食べに行こう、そう考えて私はその場を離れた。

2011927日の夢]


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私の夢には度々花を折る、むしる、分解するといった行為が登場する。花はふつう植物の生殖器官なので、なんだか象徴的といえば象徴的なのだが、私に限って言えば実家の生花店の手伝いで以前から花をいじる機会が多かったためだと思う。

ユリのつぼみは分厚い花びらの辺が重ならず接した状態になっているから、比較的簡単に剥がすことができる。廃棄する花でよく遊んでいたから感覚的に知っているというだけで、妙な性癖や願望があるわけではない、と思うのだが。


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映画「アブラハム渓谷」で主人公のエマがバラの花に指を押し込むシーン


猫人間と性産業

 書物から書物へと日本の歴史を辿るうちに、ある絵巻物の世界に入りこんでしまった。墨で描かれた猫が何百匹といる。何もないところから声が響き「猫の耳の位置と形に真実を聞き取り幸福をもたらす性質があるということがわかり、人々は猫の耳をつける様になった。人の猫化の始まりである」と言った。

 人々は猫の子を産むためにがんばった。その過程で男性器はなぜか巨大化し、性産業がオープンで狂ったものになった。このような歴史が上書きされた。私は絵巻物の中でそれらを体験した。狂った性産業に巻き込まれて酷い目にもあった。歴史の変更により、物語が進むとやがて私は猫人間になった。高いところに簡単に登れたが、降りるのはまた別であった。
[2011年9月28日の夢]

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子供の頃、猫とコミュニケーションが取りたいと考えていた。人間のもとで育って人間と会話ができるように、猫にしっかりと向き合えばそれが可能だと思い、飼い猫に絡み続けた。また、自分は猫と思い込んで振舞うことも忘れなかった。でも結局猫の考えていることはよくわからなかった。なので夢の中とはいえ、半分猫になる体験ができたのは少し嬉しいことだった。

幼児退行エレベーター

 大きな建物にホテルといくつかの商店が入っていて、私はそのホテルの一室に閉じ込められた。部屋にはほかに誰もいなかったが、私は「精神薄弱者と暮らさなければならないなんて、あんまりだ」と強く思っていた。ベッドの端が乱れていて、それを狂人のしわざと考えていた。ある時目覚めると私の顔を1人の男が覗き込んでいた。私はそれが堪らなくなって部屋を飛び出した。

 駐車場へ出ると、私は柴犬ほどの小さな人間を連れていることに気がついた。小さな人間はまるで人形のように動かなかったし、ともすると本当に人形だったのかもしれないが、私には生身の存在感をもって映っていた。私はその小さな人間を抱えて歩いた。

‌ 「外」へ行くためには、「隙間」を通る必要があると考えた私は、車を運転して壁に寄せた。別に閉ざされてもいないその狭い空間を「隙間」として通り過ぎるために。小さな人間を抱えて車から降りるのは難儀だった。腰ほどの高さの壁の上にひとまず小さな人間を乗せた。手を離すとそれは力なく倒れ地面へ落ちかかった。咄嗟に掴みあげる。硬直していたが、生暖かい人間の感触をはっきりと感じた。再び壁に、今度は広さのある所に置くと、それははっきりとした足取りで歩き出し車のドアに挟まって動けないでいる私を置いて行ってしまった。一人になった私は、外へ向かうのは無理なんだと強く感じ、建物へ戻ることにした。

‌ 建物の1階にはスーパーがあり、花の苗が売られていた。コールラビや芽キャベツといった珍しい植物が揃っている。よく見ると貼り紙があり「売れ残った種を勝手に植えてしまいました。すみません」と書いてあった。私はミニニンジンの苗を撫でた。

‌ 建物を上に進んだが、なぜだかホテルフロアには上がることが出来ない。私が見つけた階段もエレベーターも、それより上の階へは繋がっていない。そこで私は、通りがかりの給食のおばさんに助けを求めた。無言のおばさんに給食用エレベーターに乗せられ、薄暗く狭い空間にうずくまり上へ進む。私はその間に子供の姿になっていたようだ。子供になった私が部屋に戻ると、例の男が服を着替えさせベッドに寝かしつけた。
[2016年4月の夢]

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一年以上このブログの存在を忘れていて、久しぶりの更新です。私はとにかく忘れっぽいのだが、携帯を変えたところ2台前のデータと同期され、メモ帳によくわからないメモがたくさん出てきて大変驚いた。その中に夢メモがあり、ブログのことを思い出したわけです。

最近は自分の夢にあんまり注意が向けられていなかったが、今回ブログの記事やメモを読み返したらその時の夢の雰囲気が思い出されてとても楽しく、やはりたまには記録したいなあと思い直した。またところどころ描写があいまいなせいでイメージを思い出すのに時間がかかるところがあり、工夫したいなと思っている。

 

バーチャル宿ガイド

タイバンコク旅行ツアーに参加することになった。ツアーだが宿は自分たちで探さないといけない。私は一緒に参加する友人と2人で泊まる部屋を、バーチャル宿ガイドで調べることにした。
バンコク市街の映像データの中に入り込み、宿のひとつひとつを見ていく。再現された街並みは、何度かバンコクを訪れたことのある私が知っているものとはずいぶん違っていた。空間が凝縮されているせいか、平地も坂の多い地形のように表示された。
しかしいくつかの宿には見覚えがあった。そのうち屋内に人口ビーチがあるホテルは、かつて私が夢でみたものだ。ロビー全体が砂浜で、利用客たちは竹で編まれたベッドに寝そべり頭上のテレビをみながらバカンス気分を楽しんでいた。私は魅力を感じながらも、個室にシャワーとトイレがついていないことからこの宿を候補から外した。
結局決めたのは、市内中心地にある大きな作りの一軒家を改装したホテルだ。中を調べるうち、ここもまたかつて夢に出てきた場所であったことがわかった。以前夢に見た時はホテルではなく、安価で部屋を貸す相部屋式シェアハウスだったが。そうかあの建物がホテルになったんだ、と夢の中で思った。
予約するにあたって、宿のおやじとバーチャル空間の中で会話をする。画像の継ぎ接ぎで再現されたおやじの顔は、いびつで不気味だ。なぜか私は緊急時の対応についてしきりに確認する。おやじプログラムが混乱し、映像が乱れ余計グロテスクな見た目になった。
ここで場面が切り替わる。謎格闘技、祭典。そして猿の森。無数の猿が木の枝にいる。私はその1本に登った。すると人間を知らない子猿が1匹、私めがけて飛んできた。あ!っと伏せる。猿は肩にしがみついた。しばらくじっとしていると、私の体を軸に蜘蛛の糸のようなものをからませ、あっという間に巣を作ってしまった。私は繭に包まれ、猫のような柔らかくて温かい小猿の体温を感じながら巣としてそこにいた。
気づくと私はバンコク旅行の最中なのだった。友人とテーブルで食事をしている。皿には人間の腕ほどもある赤い棒状のものが載っている。端はかたくごつごつしている。触れてみて、骨だとわかる。だが同時にこれは蟹だということもわかった。食べなよ!と勧める。友人はひといきで2本あるうちの1本を平らげた。私はそれを見て満足した。
予約した宿を探さないといけない。私たちは感覚を頼りに歩き回った。バーチャル宿ガイドで見える景色は実情とはずいぶん違うので大変だ。それはもう謎解きのようなつもりで臨まなければいけない。バーチャルと現実の何が対応しているかを理解し、こちらの言語に変換する必要があるのだ。街並みは次第にイタリアの雰囲気に変わっていった。これはバーチャル世界の読解が現実に干渉したためだ。私は、もうおやじの宿は現れないとわかった。おやじ本人は噴水のある広場に出現するが、宿は無理だろうということが摂理として強く理解できた。
時空は混乱を極めた。私はインターネットに取り込まれてしまった。リンクする情報が積み重なって空間を作っていた。たとえば私は、今は亡き人物のウィキペディアを同時に現れた存在として見た。子ども時代の彼と生家、彼が設立した学校、没後建立された石碑、が同時に存在した。消された情報は祠でふさがれアクセスできない。彼の情報空間には新しいもの古いもの様々な祠が並んでいた。
やがてそこにいた人々は、彼の学校の設立式典に出かけていった。私は暇に任せて近くにあったアクセサリー店をのぞいた。濃くくすんだ桜色か藍色の小さなガラス玉が付いたネックレスが並んでいた。隣にいた女性は、これは和紙で出来ている、くすんでいるのは和紙のうんちが混ざっているからだと話した。和紙のうんちって何だろうと思ったが、聞かなかった。女性は、これが欲しい?欲しいならあげたい。こういうものを誰かにあげて、身につけてもらえたら幸せだと言う。私は意味がわからず、かといって断るのも女性が不憫に思え、その場に立ち尽くした。
[2016年5月16日の夢]

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これまで夢日記はなるべく日付順に載せるようにしていたが、 今回は直近のものを載せてみた。 前回も比較的最近のものを使ったが、これはもっとできたてほやほや、書き下ろしたてである。

朝目覚めて、たくさん夢をみたと認識し、慌ててスマホのメモ帳に箇条書きで記した。「タイ旅行宿探し・ビーチ付き宿・おやじプログラム・緊急時確認・謎格闘技・祭典」といったような具合だ。
それを昼休みと退勤後に文章に起こした。残念ながら、謎格闘技と祭典については全く思い出すことができなかった。

ほかにもところどころ失われてしまった細部が存在した。例えばタイがイタリアになりつつある場面。何かがあったのだが、わからない。記憶の前後を探っても辿れないし、推測することもできない。実際に目で見たわけでも体験したわけでもないからだろうか。夢は起きてすぐに細部を振り返らないと、無かったことのようになってしまう。

しかし不思議なのは、このように自分の元から消え去ってしまったと思える夢のイメージが、別の夢の中で復活することだ。今回の夢にはそれが2つ出てきた。屋内ビーチのあるホテルと、一軒家を改装したホテルがそうだ。どちらもこの夢に再び登場するまで、すっかり忘れていた。おそらく夢日記にも残していなかったと思う。

夢日記に残せなかったものはほとんどが記憶から消え、もう二度と現れない。そう思っていたが、今回また出てきたことでかつての夢の内容も含めて、はっきり思い出すことができた。しかも、夢の中でそれを思い出していた。これは不思議なことだ。

もちろん、以前みた、というのが単に夢での設定である可能性も捨てきれない。ホテルのことを書き残した記録がない以上、証拠がない。しかしそれは、今回についていえば、だ。実は私にとって、同じものや場所が再度夢に出てくること自体は珍しいことではない。実際に何度か経験している。それについてはまた別の機会に紹介しようと思う。

今回の2つのホテルがもし本当に以前夢で見たものだとして、それまですっかり忘れてしまっていたような記憶を、どうして夢の中で思い出したりするのだろう。またもし以前みたという認識も含めて夢だったとして、どうして夢の中でデジャヴのようなことが起こるんだろう。そんな事を考えた。