ホタルイカ液の命乞い

ウォッシャー液から細かいホタルイカが飛び出す車に乗った。走っていると少し開いた窓から色とりどりのホタルイカが飛び込んできて、窓ガラスの端に張り付いた。赤と緑とピンクのホタルイカがならんでこっちを見ていて、私は外に出すためにコップですくおうとした。するとホタルイカたちはふるふる震えてヤメテ、と言った。かわいそうだったのでそのままにしておいた。そのままにしておいたところでそのうち風に飛ばされるか、干からびてしまうだろうなと思いながら。車内はすでに干からびたホタルイカでいっぱいだった。

私は電車に乗り、かつて夢にみたピザ工場と山の近くの街に向かった。そこから山を越え、また別の夢でみたマネキンが並ぶ海岸沿いの駅に辿り着いた。そこには以前はなかった巨大なボウリングのピンのモニュメントが二つ並んでいた。真っ黒なそのピンは大きなビルくらいの高さがあった。その横の建物には見覚えがあった。それも昔夢の中で入ったことがあるビルだった。

どれもこれも知っているもの、場所。私はふと、今日は全てを放り出してしまいたいと思った。でたらめに電話をかけ、私は今遠くにいるからもう戻れない、と知らない人に告げた。相手はとても悲しそうに返事をし、その後怒ったような声を出した。どこの言語でもないような音声を聞きながら、なんだか不安な気分になった。

20111230日の夢]


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イカといえば、安部公房の「カンガルーノート」に出てくる烏賊爆弾(烏賊の雄と雌それぞれの生殖腺を生干しにして、百メートル十五秒以内の速度で接触させると、ダイナマイトをしのぐ強力な爆発力を発揮する、というもの)を思い出す。

私は上海にいたころ、区の病院に二度入院したことがある。ローカルの総合病院にも関わらず通常求められる家族の付き添いがないことで、さまざまな不自由があった。ストレッチャーの上で暗い廊下や救急外来に放置されたり、腹膜の炎症で40度の熱がありながら起き上がってサインをしなければならなかったりと、色々とハードな体験をしたと思う。

ずいぶん辛かったけれど、なんだかカンガルーノートみたいだなと思うと嬉しい気持ちにもなった。ベッドは自走しなかったし採血が趣味の看護師もいなかったけれど。ちなみに上海の若い看護師たちは、ベッドに下げられた私の名札を見て、お互い読み上げては聞き慣れない日本語の音にクスクス笑っていた。

独裁者金太郎

独裁者金太郎は斧を担ぎおかっぱ頭で手ぬぐいの様な前掛けをしていた。独裁者金太郎は冷淡で残忍だった。「あなた方の有能な兄に対する様に私に慕い従いなさい」と独裁者金太郎は斧をふるい語った。


独裁者金太郎にも従わない者がいた。かよちゃんである。独裁者金太郎はかよちゃんに恋をした。かよちゃんは独裁者金太郎と同じおかっぱ頭である。しかしのっぺらぼうであった。そのため独裁者金太郎になびく事はなかった。


独裁者金太郎は絶望し、女装をするようになった。髪を長く伸ばし、おかっぱ頭ではなくなった。独裁者ではなくなった金太郎にかよちゃんは言った。「バンドやらない?」 


——という内容の漫画を読んだ。私はいたく感動した。タイトルをみると「けいおん!」と書かれていた。けいおん!のアニメはみたことがなかったが、こんな話だったんだな、と一緒にいた友人に話した。その後私は仕事、友人は所用のため、二人で駅に向かった。


駅に着くと友人が改札の駅員を指し「あそこに一日中座り人々の精神をながめる変質者だ。しかし人々は彼のことを先生というんだ」と苦い顔で言った。しかし私はけいおん!の漫画のことで頭がいっぱいだったのでどうでもよかった。


友人と別れ、職場に着いた。仕事はある中学生の子供の世話で、主に護衛や執事のような役回りをするというものだった。彼女はその日、二人組の男性と会う用があるから着いて来て欲しいと言った。


私は待ち合わせ場所に連れていったが、そこに二人組の男はいなかった。いないようだと言うと彼女はあれがおそらくそうだ、と指差した。見ると一人の男と一匹の猿が並んで座っていた。あれは二人組の男性ではなく一人の男性と一匹の猿だ、と私は言ったのだが、彼女は納得しなかった。私はとりあえず危険だから様子を見るように彼女を説得し、バスに乗せた。町を一周するまでに、何度も男と猿が景色に現れた。どうやって移動しているのか知らないが、我々に見せつけているようだった。しかも現れる場所場所で曲芸のようなものをして人々の気を引いている。恐ろしい奴らだ、と思った。

20111226日の夢]


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夢の中で小説や漫画、映画、音楽などの創作物を読んだりみたりして、大いに感動することがよくある。

今回の夢に出てきた漫画は多分、童話の「金太郎」、小説「1984年」、アニメ「けいおん!」が混ざっているのだと思う。この中で「けいおん!」は一度もみたことがない。けど、夢の中では「けいおん!」だとする漫画を読んでいたく感動した。

とはいえ感動するという夢をみているだけで実際はそんなにすごい内容でもないので、起きてから思い出してもちっとも感動できないことがほとんどだ。

先日、夢の中で「トマトは人生。気づいた時には潰れてる」という言葉が出てきた。起きがけに寝ぼけた頭でこれを反芻して、なんてすごい言葉なんだ!と身震いし、忘れないようにしなければと強く思った。でも思い返すと全然そんなことない。むしろ暗すぎて自分で自分が心配になるレベルである。

シナモン判定

手のひらサイズのフクロウと生活していた。とても懐いていて、私の膝の上でうつ伏せになって眠るのが好きだった。


フクロウはこの世界の歴史を映像で見せてくれた。言葉や文字ができていく過程を楽しく理解することができた。昔のような村社会だったらお前は力がないので家から出られないだろう、とフクロウに言われた。


私は墓の谷の食堂に食事をしに出かけた。トーストとアイスクリームを注文した。のせて食べたらおいしそうだと思ったからだ。運んでくれたのは長い髪の綺麗な女性で、テーブルにトーストとアイスクリームを並べると、最後に頼んでいないシナモンシュガーを置いた。


「私、シナモンって大好き!あなたは?」「好きです」「私ね、シナモン判定で一番のシナモン好きに認定されたの。あなたも好きならやってみて」


女性は目の前の席に腰掛け、両手で頬杖をつき嬉しそうに笑った。「じゃあ始めるね」


一、何にでもシナモンをかけますか


もちろんいいえだ。これで満点ではなくなってしまった。彼女は満点だったのだろうか。そんなことを考えているうちに気づけば全ての問いが終わっていた。シナモン判定は不合格で、私はアイスクリームもシナモンシュガーも没収され、ただのトーストをかじった。

20111223日の夢]


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創作物では、夢か現実か確かめるために頬をつねってみる、というシーンが度々ある。痛かったら現実、痛くなければ夢というわけだ。

私は夢の中でも痛みを感じるので、この判定法はあてにならない。また痛みがあるだけでなく、色や音に、味の感覚も存在する。二メートル四方の大きさの弁当を食べる夢をみていた時には、あまりのおいしさに驚いた。

このように私は夢で多くの快楽を味わえるので、寝てさえいればだいたい幸せなのかもしれない。

土も食えない

   近未来の日本では土地という土地が墓で埋め尽くされそのほかの区画も非常に小さくなっていて、家を建てる場合は、既にある建物から突き出すように作る。もし土地を使うと墓をたくさん潰すことになり、大勢の子孫に賠償しなければならなくなる。


   私は植物が見たかった。木も草も花もここでは珍しく、金持ちが集めるぜいたく品だ。そもそも豊かな土がないので、大きく育てたり分けたりすることが難しい。


   ある日私は入り組んだ建物の間の梯子を伝って「庭」に侵入した。庭といっても、私たちが想像するものとは大きく違う。建物の上にいくつも建て増した住宅の一角にある、広い屋上のことだ。こんな空間でも、私なんかが一生働いても買えるかわからないくらい、高価なのだ。


   殺風景なコンクリートと鉄骨の足場からなる「庭」の一角には、シクラメンと大根のポット苗がいくつか並べられていた。シクラメンは赤い小ぶりな花をつけている。後ろから「土が買えなくて」と声がして、振り返ると一人の男性が立っていた。この場所の主だった。


   「興味はなかったんだけど、もらったから。でも土が足りないでしょう?弱ってきたよ」。大根の葉に触ると、たしかにしおれている。私は、水を与えたほうがいいことを伝えてみた。彼はおどけたような顔をして「植物が水を飲むの?」と笑った。

20111211日の夢]


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夢に何度も出てくる同じ場所がいくつかある。知らない場所なのに、何度も出てくるために私にとってはおなじみの場所として存在している。たとえばあるデパート。デパートの近くからなら行き方もわかるし、建物内のどこにどんな店が入っているかも知っている。出てくるたびに商品が入れ替わっているので、毎回新鮮な気分でウィンドウショッピングを楽しむことができる。

一方、夢に一度見たきりになっている場所もたくさんある。いつかまた出てきて、パズルのピースが埋まるように空間同士が繋がっていったら面白いのに、と思う。

牛人間の祭

   時間と空間の操作によっていろんな場所の古い文化をディスクにデータ化し保存したところ、各データの中で時間が進んでしまった。保存された文化はほかの文化との交わりや淘汰なしに、閉ざされた空間で独自の進化を遂げていた。あるデータの中ではミノタウロスのような牛人間が生まれていた。つまり体が人間、頭が牛なのだが、頭部にはさらに首だけ人間も寄生している。一体何がどう進化したのかはわからない。私はそんな牛人間がいるデータの中の世界へやってきた。


   牛人間たちは互いに閉じ込めあっているのか誰かに閉じ込められたのか、ずらりと通りに並ぶ小屋の中に一体一体入っていた。私がそこを歩いてゆくと、小屋の鉄格子から寄生しているもしくはされている首だけ人間がにゅっと伸びてこちらを目で追うのだった。そのデータ上の地はロシアとラオスが合体したような雰囲気の場所で、牛人間達はそこの宗教の祭に参加しては奉仕しお金を集めていた。


   私は他のデータの中の世界へも訪れた。壁だけになった世界もあり、縦に街がひろがっていた。また別のデータでは、頭が霧状に広がっている子どもが「ね、これが死っていうんだ」と言っていた。私はそんないくつかの世界で何日かずつ滞在していたようだ。それは旅行のようでもあり、なつかしい暮らしのようでもあった。

20111030日の夢]


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寄生虫や深海魚などはしばしば奇妙な進化の一例として関心を集めるが、生命の進化というのは本当にグロテスクなものだなとよく感じる。

生命は原核生物からあらゆるフィールドに展開し地球を埋め尽くしたわけだけれど、自分では交尾をやめられないカイコガや、胎内できょうだいと繁殖する虫(忘れた)、自分では体温を保てない小型犬、目をなくした魚、そういう生き物も私たちの一つの可能性なのかみたいな事を思ってしみじみしてしまう。

村上龍の『五分後の世界』に出てくる「退化」した人類は、目がなく腕が縮み地下で這って過ごし、延々セックスしているというものだったが、それも生命の市場開拓といえばそうなので、そういう生き物が気持ち悪いのではなくて生物がそもそも全部気持ち悪い。


子供たちの御本尊

   二メートルほどの台の上に母親の亡骸を横たえながら少年が「いまや彼女の事を見つめるものは誰でもなく全ての人である上(かみ)の様、ただ一人であり全ての」と呟き、また別の少年は「枯葉、生きざまと死、死にたい」と叫び繰り返し閉じた扉にぶつかり続けていた。たくさんの人たちとバスに乗り夜の住宅街を期待の空気の中眺めていると、路上に作業服を着た人間を先頭にR2-D2C-3POがそれぞれ反対方向から十体ずつ列をなして規則的なリズムで現れたので、バスの中は「ロボットの行進だ!」という歓声でいっぱいになった。二手から集まったロボット達は作業服の人間の指示で住宅の一軒一軒に入ってはあらゆる機械類に電気を通して回っていった。私をはじめ、バスの中の人たちはその様子を真剣に見つめていた。


   しばらくした後、R2-D2が二体ほど暴れ出した。何かを叫びながら、回転しながらでたらめに走り出した。あたりは混乱したが、作業服とほかのロボット達が暴れる二体を取り囲むようにして引き揚げると、何事もなかったかのように静かになった。私たちはバスを降りてついさっきまでR2-D2が暴れていた家に入った。家の中はあらゆるものが散乱してそれらを子供達が囲っていた。私は物々を一つ一つ手に取り「これは誰のかな」すると一人ずつ手を上げるので渡す。全てを配った。部屋の隅に小学生と中学生の二人組が立っていて、傍にしつらえた棚をにこにこと眺めているので、「片付けたんだね、偉いよ」と言うと中学生「ものは」小学生「大切に」中学生「しなければ」小学生「なりません」どうやら二人は同一人物であるらしかった。二人が示す壁のスクリーンをみると、ドラえもんが映っている。ドラえもんは語り出した。「ものにはそれぞれの家があります。家に帰してあげましょう」どうやらここには子供しかいないのだ。この家以外もそうだろう。一帯をロボット達が管理し、子供達の教育の様な事もしているらしい。子供達の態度を見ると、スクリーンのドラえもんは彼らにとって先生というより御本尊またはビッグブラザーのようであったが。


   私たちはバスに戻る。宿に向かうのだ。集合時間ちょうどに最後の一人が乗り込むと、ガイドがその一人に激怒した。「あなたどういうつもりですか。迷惑を考えなさい」遅れていないはずなのに、集団行動なのに、なぜだろう。そう考えていると、ガイドは車内の時計を指差しながら「残念でした!」すると時計の示す時間が一気に二十分進み、「ほら、あなたは遅れていた」それで皆は納得したのだ。私も「ははあ、あの最後の人が乗り込む一瞬で二十分進んだのだな、迷惑な話だ」などと思った。宿に着く。ガイドがいないと思ったら奥から着替えて出てくる。この宿の経営者でもあるらしかった。横には彼女の夫らしき男性も一緒であった。彼女は八朔という名で、かつて女優をしていたという。「そのため常に芝居がかった言動なのです」夫は言う。八朔は果物の八朔の説明をわざとらしいまでの芝居口調で話しだす。内容が前後したり同じところを繰り返したりしながらそれはいつまでも続いた。わけがわからない。

20111023日の夢]


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ブログの存在を忘れていた間に、上海から台北に引っ越しました。

小菊たちもこうきちんと扱う事で自我を持ちます

   ある原始的な生活を送る村はかつて集団失踪事件があったという。未解決のその事件の謎を解き明かすために、村人たちの集合的無意識を解析する調査が行われた。結果はある何かの記号。誰もその意味はわからないという。


   そこで私は試しに、ユリの蕾をひっくり返して村人たちの前で咲かせてみせた。「ひい、残酷」という声があがった。しかしやがて彼らは慣れたのか何も言わなくなり、蕾と組み合わせて墓花にするための小菊を集めて持ってきた。そして私が組んだ墓花に値段をつけて路地に置くのだ。「小菊たちもこうきちんと扱う事で自我を持ちます」などと言い出した。


   それが糸口となり、彼らの記憶をたどる事に成功した。私はその記憶の中に意識を移してそれを見た。何十年前かの村の小学校の校庭で、十歳ほどのかつての村人たちが大きな穴を掘っていた。その大きな穴には大人から子供まで十人ほどが目を見開いたまま死んで横たわっていた。


   掘っている者たちの仲間の一人が、手に銃器を握り扱い方を隠語にして繰り返し唱えていた。それは実験で導き出した記号の読み方にそっくりだった。


   どうして殺したのか。私は記憶を過去へ遡る事にした。現れたのは隣町の商店街だ。隣町では、商店街で登録するとナカマというものになる事ができるという。大量殺人はその登録権を奪うためのものだったようだ。


   ナカマになると、他のナカマとの間で暗黙のうちにおぞましい侵害が行われるという。私はその内容を知って戦慄した。人々は干渉し合い、良き振る舞いを期待し強制するのだ。


   十歳そこらの子供達は、ナカマ登録権を奪い別の子供に与えるために、その後もたくさんの村人を殺し続けた。


   時を経て小学校は廃校になり、小学校跡ホテルとして隣の病院跡ホテルとともにこの村の唯一の産業となった——。私はそこで意識を外した。このような恐ろしい事件に関わるべきではないと強く感じたし、自身の疲労も酷い。そもそもといえば私はこの場所に病院跡ホテルを目当てにやって来たのだ。そう思い出し、そのホテルに向かうことにした。


   たどり着いたその建物は何年もまともなメンテナンスを行ってないためいまにも崩れそうだった。門近くにはなんの変哲もない木の枝が刺さった大きな透明の花瓶がいくつも並んでいた。雨ざらしのため中にはゴミが混ざり、枝は落ちそうにプカプカ浮いている。装飾どころか呪術のたぐいの様であると思った。


   建物の中では体育館みたいな広い一階に、かつての子供達である村人とその子供が粗末な木の小屋を建ててボロをまとって暮らしていた。彼らは薄いスープの様なものを食べ、ほとんど喋らなかった。しかし、彼らが唯一夢中になっているものは歌であるらしい。毎晩夜になると中庭でコンサートが開かれていた。機材は粗末で、何がどうなっているのかわけがわからなかった。一人が音の途切れるマイクを持ち歌い、なんの楽器だか全くわからないが、何かを演奏しているらしい音がいくつも繋がったボロボロのスピーカーから響いていた。だが演奏している人はどこにもいない。歌う一人を五、六人が囲んで座り熱心にみつめているだけにしか見えない。


   やがて歌う者が交代し、取り巻く五、六人も交代した。また同じような音がスピーカーから響いた。不思議に思って近づいて見ると、取り巻く五、六人が手を細かく震わせていることに気づいた。他のものたちに尋ねると、そうやって念波を送り演奏しているのだという内容のことをいった。私は嫌になってきたため中庭の隅まで行って座り込んだ。同時に乱闘が始まった。歌っていた者と別の歌う者、五、六人と別の五、六人とで各々つかみ合い大きな声が響いた。


   私はこの村に来る前に通った別の小さな村の事を考えた。いまいるこの村にやや近く、現在の日本の首相の出身地だがあまり知られていない。この村の秘密と関係があるのかもしれない。美味しい蕎麦を食べられる店が一つだけある様な村だ。蕎麦を食べに行こう、そう考えて私はその場を離れた。

2011927日の夢]


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私の夢には度々花を折る、むしる、分解するといった行為が登場する。花はふつう植物の生殖器官なので、なんだか象徴的といえば象徴的なのだが、私に限って言えば実家の生花店の手伝いで以前から花をいじる機会が多かったためだと思う。

ユリのつぼみは分厚い花びらの辺が重ならず接した状態になっているから、比較的簡単に剥がすことができる。廃棄する花でよく遊んでいたから感覚的に知っているというだけで、妙な性癖や願望があるわけではない、と思うのだが。


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映画「アブラハム渓谷」で主人公のエマがバラの花に指を押し込むシーン