仏教がいかに反社会的でやばくてかっこいいか

    日本が荒廃した。文化は弾圧され、本の売買が禁止された。中でも仏教は特に禁忌とされたが、高齢者を中心に密かに楽しまれていた。

    本の闇市場に行くと、ヤクザが仏教関係の本を売りさばいていた。私はどうしても「おんころころせんだり狂気の謎」が読みたかったが、迷っているうちに老婆に先を越されてしまった。「着いてきたら読ませてやるよ」と言われたが、着いて行かなかった。

    市場にはおどろおどろしい仏壁画が張り巡らされ、「仏教がいかに反社会的でやばくてかっこいいか」といった文章が書かれていた。また実家の花屋の仏花がやばいアイテムとして取引されていた。

    私は本を一通り眺めてから、食べ物の出店が集まっているところに行った。危ないキノコの天ぷらのチャーハンに人が群がっていた。天ぷらは食べたいけどキノコは嫌いなので「ピーマンとウインナーの天ぷらできますか」と聞いてみたら、あっさり了解された。

    ところが天ぷらが出てくるより先に、知らない人に拉致されてしまった。事務所のような部屋に押し込められ、私の死んだ祖父からの手紙を探すことを命令される。どうやら彼らは、そこに仏教の秘密があると思い込んでいるらしい。実際の祖父は仏教には興味がなかったはずだが、私もそう思い始めがんばって探し当てた。するとそこの偉い人がやって来て、これから開催するアンダーグラウンドなイベントに私を出すという。そこで手紙を朗読して欲しいようである。

    そして私の母親は仏花が作れるということで、また祖母と叔母は毎日仏壇を拝んでいるということで全員連れてくることになった。しかし連れてきたものの祖母と叔母は出された酒で眠ってしまい、母親は「美味しいパン屋があるって言ったのは嘘か!」と暴れ回り、イベントは中止になってしまった。私は母によって崩されていくステージを眺めながら、天ぷらが食べられなかった心残りからか「麩の中に天ぷらが入っていたらすごくないか?」などと妄想していた。

[2011年11月10日の夢]


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    私の母は日本で小さな花屋を経営している。近隣の年寄りが日常的に仏花を求めに来るため、母は毎日たくさんの仏花を組んでいる。母は仏教徒というわけではないが、「買った人がこれを仏壇に供えた前で手を合わせると思うと不思議な気分になる」と言って丁寧に作る。

    人類は昔から死者に花を手向けてきたけれど、それはどうしてなんだろう?(ネアンデルタール人が墓地に花を供えていたという話を聞いたことがあるな、と思って調べてみたけど、どうやら確証された話ではないらしく、確認されている最古の例は中石器時代ということになっているらしい)

    花は植物の1つの器官にすぎないのに、こんなに人間によって重宝されているというのも不思議な話だ。人間の色覚にぴったりはまったとかそういう感じなのだろうか。

来た道を逆に進むと戻ることができるのはなぜか

   私はいつものように電車に乗って、四角い畳の部屋にやって来た。座布団がたくさん敷かれた部屋には、パジャマを着た男女が大勢座ってがやがやしている。窓からは中へ入れない人が数人覗き込んでいた。私たちはストレッチをして、来た道を逆に進むと戻ることができるのはなぜかについて議論した。そのせいで帰る時、反対方向の電車に乗れば帰れるという事に自信がなくなってしまい、目をつぶってなんとなくの勢いで帰りの電車を選んだ。

[2011年11月20日の夢]

 

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   突然のオカルトで申し訳ないのですが、もう何年も前にある数秘術のサイトで見かけたコメントが忘れられずにいる。

   私と同じ数秘(生年月日から出す数字)だというその人は、色々な性格診断や占いを見たけれどこのサイトでやっとしっくりくる表現に出会えた、自分を理解することができそうだと誰にともなく語っていた。

   その中で、うろ覚えだが、「空が青くて泣いちゃうような、そんな自分が嫌だった」という内容があった。私はこれを読んでガツンと殴られたようなショックを感じた。強く共感すると同時に、こんな場所で、誰に当てるでもなく、真摯に語る姿勢に胸を打たれた。実際にその人へのコメントは無かったし、私もコメントしなかった。この美しい孤独はなんだろう?そう思い、その文章をコピペし保存した。

   保存した先を忘れてしまったので、その文章は結局見られなくなってしまったけれど、今でも度々思い出す。

無性生殖した話

   頭の中で組み立てた遺伝情報を体内から卵子に送る方法で妊娠してしまった。無性生殖ではあるが、遺伝情報を新しく組み立てているのでクローンにはならない。

   この世界では時たまそういうことが起きるが、あまり喜ばしいこととはされていなかった。思考を自制できないからだ、と考えられているのだ。実際に私も、ぼんやりしていたらうっかりやってしまったという感じだった。

   私は誰にもそのことを知らせず、山の上の病院で子供を産む。無性生殖の子は検査項目が多いので、しばらく入院することになった。私だけが退院させられ、一人下山した。

   何をしていても子のことが気がかりで、毎日仕事が終わると真っ先に見に行った。何もできないのが辛かった。やがて子に対する気持ちや自分への苛立ちを一人で抱えていることに耐えられなくなり、親や周りに出産したことを言いたくなった。

   無性生殖で生まれた子は、自制心のない親の子供として差別を受けることが多い。子が様々な不利益を被る可能性を考えると、耐えられなかった。そこで私は、人工知能を用いた会話式シュミレーターに相談してみることにした。

   シュミレーターは、考えうる不利益を提示した上で、「周りに話すべき」との解答を出した。人間の女性の姿をしたシュミレーターのホログラムキャラクターが笑顔で語りかける。「差別自体は無くならないが、権利拡大のためにより良い世界を作るべきだ」。また、「あなたの母親はきっと喜んでくれる」と付け加えた。

   私は途端に興ざめした。なぜ人工知能に倫理を語られなければならないんだと思った。また自分が差別主義者と糾弾されたようで、悔しかった。プログラムのスイッチを切り、ログを消去して病院に向かう。子供を連れ出して、遠い所へ行こうと思った。

201922日の夢]


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   昨日の記事から遺伝子のことを考えていたせいか、今朝はこんな夢をみた。続き物みたいで面白く感じたので、タイムラグなしでアップすることにした。

   私の夢は大抵変なことが起きるけれど、このように考えていた内容が反映されることも多い。影響されやすく素直な人間なんだろうなと我ながら微笑ましく思う。


なにが怖いかパネル

薄暗い部屋のベッドに横になり、壁のパネル相手に喋っていた。パネルに浮かぶ文字に声で返すのだ。パネルが聞く。「普通のことが怖いですか、普通と違う事が怖いですか」。普通の基準がわからないと答えると「あなたは知らないものを怖れる」と表示され、続いて「記憶を詳細に辿って二日遡りなさい」と出た。その通りにしてみると気持ちが軽くなるのを感じた。さらに「普段からその状態を保つように」と画面に出た。意味がわかんないなと思った。

2011119日の夢]


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   文字には安心感がある。こんなにいいものを生み出した人類を尊敬するし、私自身が使えていることに感謝している。

   また同時に、文章が物事を全く完全な形で伝えられるとも思っていない。そうじゃないから文字以外の手段も存在するわけだし。

   例えば話し言葉は文字より先にあったし、動物や昆虫も鳴き声や飛び方で仲間に危険を伝える。細胞も情報を伝達するし、情報のやり取り自体は別に人間の特権ではない。そもそも生物が遺伝情報の蓄積なのだから。

   だから私は、もし蜂に生まれていたら、別に人間の文字をすごいとは思わないし、羨ましがらない。


アヒルなんかどうでもいいや

   「今年の11月は2週目に118日と110日があって、ということは今日は節分だね」。我々は二手に分かれて豆をぶつけ合った。こちらは3人なのに向こうは20人くらいいたため、ぶつけられる量がすごかった。

   その後通りを歩いていると、白いヒゲの男がアヒルを3匹引き連れて倉庫に向かうのが見えた。懸命に後を追うアヒルが面白く、様子を見守ることにした。すると白ヒゲの男が倉庫に入ったところで、物陰から黒い男が現れてまだ倉庫に入れていないアヒルを3匹とも掴んで黄色い車に乗り込み、走り去ってしまった。一瞬の出来事だった。

   白ヒゲの男はすぐに飛び出してきた。私は黄色い車だ、と伝え一緒に追いかけることにした。坂を登って下ると黄色い車が停まっていて、降りてきた黒い男を2人で捕まえた。警察もやって来た。私はなぜか自分の事のようになって、「なんて事するんだ、絶対に許さないからな」と黒い男に怒鳴り、掴みかかろうとした。

   すると警官が「あなた、この人がどんな気持ちでアヒルを盗んだか考えてみなさいよ」などと言う。途端に馬鹿らしくなった私は、アヒルなんかどうでもいいやと思うのだった。

2011119日の夢]


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   私の夢には現実の知り合いがほとんど出てこない。たとえ出てきても、あまり重要な役どころではない。

   もしいつも知り合いしか出てこなくて、状況も普段の日常に沿ったものだとしたら、夢と現実の区別がますますつかなくなるだろう。

   子どもの頃、朝、親がなかなか起きない私の両脇を抱えて寝室からリビングへ引きずった。リビングの手前で降ろされた私は、それでも起き上がることができずにそのままうつ伏せの体勢で寝ていた。夢半ばの意識で、どうして最後まで運んでくれないんだろうと思っていた。

   ようやく起き上がってから、運んでなんかいない、自力でそこまで来て寝ていた、と親に言われてすごくびっくりした。あまりに驚いたので、実は夢だったという「引きずられる感触」は今でもはっきりと覚えている。


やはり海は嫌いだ(2)

(1の続き)

外に出て、バスに乗る。そこはタイの南部だった。洪水の様子はなかった。(※当時タイでは現実に大規模な洪水があった)バンコクに行くか迷いながらバスに揺られる。窓からは、ガネーシャ、仏陀、キリストといった具合に様々な「神」を祀る祭壇が通り過ぎて行くのが見える。ヒンドゥーの祭壇のところで降りたら、そこはインドになってしまうだろう。やがてほっそりとした仏像の祭壇が現れたので、ルーレットを止めるように手を挙げ、降ろしてもらった。こうして私はタイを引き留めたつもりだった。

ところが、見渡してみるとそこはデリーのマーケットだった。道の真ん中には、ござの上に横たわる綺麗な死体があった。鮮やかな緑のサリー。死体は時々目を開いて上半身だけ起き上がる。道行く人々から見物料をとっているようだ。その横にノートがあり、かつて生きていた時のその人物についての評価を書き込むらしい。どんなことが書かれているのか読んでみたかったが、死体以外の人は見てはいけないらしかった。そこに先ほどの親子連れが現れて一緒にラオスに行かないかという。バンコクだった場所にラオスができたので、洪水を避けるためにそこに行きたいのだそうだ。なるほどラオスなら洪水はしてないし、バンコクだった場所に行けるしというおかしな理屈が通るのだった。

ラオスに着くと是非同じ部屋に泊まろう、安く済むから、というので了解する。広く快適な宿である。しかし三日泊まって請求された額は、当初父親の方から聞いていた値段の10倍の三万円であった。腹が立ったわたしは父親を問い詰めるが聞いてくれずどっかに行ってしまった。人混みにあっという間に紛れてしまう。観光客や物乞いや何でも屋たちの協力を得て親子を探し出すも、なんともならなかった。

そこに友人が現れた。いきさつを話し、どうしたらいいか聞くと「ここら辺は今では物価がすごく上がり、煙草を吸えるのはあの高級寿司店だけなんだよ」ととんちんかんな事を言うのだった。なんだかどうでもよくなって、ベンチに腰掛けた。友人も隣に座り、ご機嫌でプロジェクトのレポートをまとめていた。しばらくして、「今日は異邦人の記念日だね」張り切った様子でケーキ屋に私を引っ張っていったが、店内に入ってから私が「甘いものはあんまり」と言うと黙ってしまった。

2011118日の夢]


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メモ代わりに始めたこのブログだが、ほかにコンスタントに続けているものがないため、目下私の主な活動になってしまっている。なので、初めて会う人などに「何か(創作活動を)やっていますか」と聞かれるとこのブログを教えることになる。

そうしているうちに夢日記がまるで自分の軸のように思えてきていた。自分でも忘れてしまいがちだが、私はもともと詩を書いていたのだった。

どうせなら、詩もどこかに記録していきたいと思うのだけど、ここにいきなり載せたら唐突だろうか。とはいえほかにブログを立ち上げたら、煩雑で余計更新が滞るだろうか。そういったことが現在の悩み。

やはり海は嫌いだ(1)

友人のプロジェクトにつきあうためラオスに行くことになった。しかし世界は配列を変え時空的に歪んでしまい、物理的な方法ではたどり着けない。

いろんな場所へ流れるように飛ぶ。一冊のノートから九州へ。九州から南へ、北へ。植物だらけの道を歩く。葉の巨大な植物が繁っている。傘として使ってみたいと言うも、ここら辺はあまり雨が降らないから、と友人。

そうこうしているうちに着いたのは港で、私たちは客船の一つに乗り込んだ。広い空間にたくさんの人がいる。今流行っているという不思議なあそびが繰り広げられていた。何人もが縦に列になり前の人の肩につかまってぐるぐる回るというもので、ここはそのあそびをする場所として人気があり、外からテレビ番組も取材に来ていた。

私はあそびが難しく感じたので部屋の隅でじっとしていた。隅は柵で仕切られており、一、二歳の子供が入れられていた。その子供達がみな私に突進してくるので堪らなかった。なんとか遊んであげようと思ったものの、子供の頭が次々膨らんで鼻水を噴き出すので、慌てて部屋の外に出た。友人はそのあそびを続けていた。

一つの船室にたどり着く。大きな窓があり男とその幼い娘がいた。畳張りで、まるで普通の民家のようだった。窓には障子がはめ込まれていたが、紙は貼られておらず、海の様子がよく見えた。もうここは船ではなく、海の上の家だと思った。

「やはり海は嫌いだ」男がそう言い、おもむろに障子に紙を貼り始めた。外はすっかり見えなくなり、私たちは障子からもれるわずかな光を見つめながらじっとしていた。突然男が障子の紙を勢いよく剥がす。障子の向こうにあったのは見知らぬ土地だった。海でも港でもなく、草の生えた広い地面のただ中だった。建物もいくつか見えた。私たちが移動したのではなく、周りの水が一切消え草が生え、建物が建設されたのだ、と私は主張した。その上でなぜ工事の音に気づかなかったのだと男を責めた。男は少し残念そうだった。(続く)

2011118日の夢]


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2つ前の記事で書いた児童文学は、「王さまシリーズ」で知られる寺村輝夫作の「消えた2ページ」だということがわかりました。存在していて本当に嬉しい。教えていただいた方、ありがとうございました。

子供の頃、「王さまシリーズ」「こまったさん」「わかったさん」と寺村輝夫作品をよく読んでいたので、今となってはどうして気づかなかったのか不思議。

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「消えた2ページ」※児童文学覚書より