バーチャル宿ガイド

タイバンコク旅行ツアーに参加することになった。ツアーだが宿は自分たちで探さないといけない。私は一緒に参加する友人と2人で泊まる部屋を、バーチャル宿ガイドで調べることにした。
バンコク市街の映像データの中に入り込み、宿のひとつひとつを見ていく。再現された街並みは、何度かバンコクを訪れたことのある私が知っているものとはずいぶん違っていた。空間が凝縮されているせいか、平地も坂の多い地形のように表示された。
しかしいくつかの宿には見覚えがあった。そのうち屋内に人口ビーチがあるホテルは、かつて私が夢でみたものだ。ロビー全体が砂浜で、利用客たちは竹で編まれたベッドに寝そべり頭上のテレビをみながらバカンス気分を楽しんでいた。私は魅力を感じながらも、個室にシャワーとトイレがついていないことからこの宿を候補から外した。
結局決めたのは、市内中心地にある大きな作りの一軒家を改装したホテルだ。中を調べるうち、ここもまたかつて夢に出てきた場所であったことがわかった。以前夢に見た時はホテルではなく、安価で部屋を貸す相部屋式シェアハウスだったが。そうかあの建物がホテルになったんだ、と夢の中で思った。
予約するにあたって、宿のおやじとバーチャル空間の中で会話をする。画像の継ぎ接ぎで再現されたおやじの顔は、いびつで不気味だ。なぜか私は緊急時の対応についてしきりに確認する。おやじプログラムが混乱し、映像が乱れ余計グロテスクな見た目になった。
ここで場面が切り替わる。謎格闘技、祭典。そして猿の森。無数の猿が木の枝にいる。私はその1本に登った。すると人間を知らない子猿が1匹、私めがけて飛んできた。あ!っと伏せる。猿は肩にしがみついた。しばらくじっとしていると、私の体を軸に蜘蛛の糸のようなものをからませ、あっという間に巣を作ってしまった。私は繭に包まれ、猫のような柔らかくて温かい小猿の体温を感じながら巣としてそこにいた。
気づくと私はバンコク旅行の最中なのだった。友人とテーブルで食事をしている。皿には人間の腕ほどもある赤い棒状のものが載っている。端はかたくごつごつしている。触れてみて、骨だとわかる。だが同時にこれは蟹だということもわかった。食べなよ!と勧める。友人はひといきで2本あるうちの1本を平らげた。私はそれを見て満足した。
予約した宿を探さないといけない。私たちは感覚を頼りに歩き回った。バーチャル宿ガイドで見える景色は実情とはずいぶん違うので大変だ。それはもう謎解きのようなつもりで臨まなければいけない。バーチャルと現実の何が対応しているかを理解し、こちらの言語に変換する必要があるのだ。街並みは次第にイタリアの雰囲気に変わっていった。これはバーチャル世界の読解が現実に干渉したためだ。私は、もうおやじの宿は現れないとわかった。おやじ本人は噴水のある広場に出現するが、宿は無理だろうということが摂理として強く理解できた。
時空は混乱を極めた。私はインターネットに取り込まれてしまった。リンクする情報が積み重なって空間を作っていた。たとえば私は、今は亡き人物のウィキペディアを同時に現れた存在として見た。子ども時代の彼と生家、彼が設立した学校、没後建立された石碑、が同時に存在した。消された情報は祠でふさがれアクセスできない。彼の情報空間には新しいもの古いもの様々な祠が並んでいた。
やがてそこにいた人々は、彼の学校の設立式典に出かけていった。私は暇に任せて近くにあったアクセサリー店をのぞいた。濃くくすんだ桜色か藍色の小さなガラス玉が付いたネックレスが並んでいた。隣にいた女性は、これは和紙で出来ている、くすんでいるのは和紙のうんちが混ざっているからだと話した。和紙のうんちって何だろうと思ったが、聞かなかった。女性は、これが欲しい?欲しいならあげたい。こういうものを誰かにあげて、身につけてもらえたら幸せだと言う。私は意味がわからず、かといって断るのも女性が不憫に思え、その場に立ち尽くした。
[2016年5月16日の夢]

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これまで夢日記はなるべく日付順に載せるようにしていたが、 今回は直近のものを載せてみた。 前回も比較的最近のものを使ったが、これはもっとできたてほやほや、書き下ろしたてである。

朝目覚めて、たくさん夢をみたと認識し、慌ててスマホのメモ帳に箇条書きで記した。「タイ旅行宿探し・ビーチ付き宿・おやじプログラム・緊急時確認・謎格闘技・祭典」といったような具合だ。
それを昼休みと退勤後に文章に起こした。残念ながら、謎格闘技と祭典については全く思い出すことができなかった。

ほかにもところどころ失われてしまった細部が存在した。例えばタイがイタリアになりつつある場面。何かがあったのだが、わからない。記憶の前後を探っても辿れないし、推測することもできない。実際に目で見たわけでも体験したわけでもないからだろうか。夢は起きてすぐに細部を振り返らないと、無かったことのようになってしまう。

しかし不思議なのは、このように自分の元から消え去ってしまったと思える夢のイメージが、別の夢の中で復活することだ。今回の夢にはそれが2つ出てきた。屋内ビーチのあるホテルと、一軒家を改装したホテルがそうだ。どちらもこの夢に再び登場するまで、すっかり忘れていた。おそらく夢日記にも残していなかったと思う。

夢日記に残せなかったものはほとんどが記憶から消え、もう二度と現れない。そう思っていたが、今回また出てきたことでかつての夢の内容も含めて、はっきり思い出すことができた。しかも、夢の中でそれを思い出していた。これは不思議なことだ。

もちろん、以前みた、というのが単に夢での設定である可能性も捨てきれない。ホテルのことを書き残した記録がない以上、証拠がない。しかしそれは、今回についていえば、だ。実は私にとって、同じものや場所が再度夢に出てくること自体は珍しいことではない。実際に何度か経験している。それについてはまた別の機会に紹介しようと思う。

今回の2つのホテルがもし本当に以前夢で見たものだとして、それまですっかり忘れてしまっていたような記憶を、どうして夢の中で思い出したりするのだろう。またもし以前みたという認識も含めて夢だったとして、どうして夢の中でデジャヴのようなことが起こるんだろう。そんな事を考えた。