小菊たちもこうきちんと扱う事で自我を持ちます

   ある原始的な生活を送る村はかつて集団失踪事件があったという。未解決のその事件の謎を解き明かすために、村人たちの集合的無意識を解析する調査が行われた。結果はある何かの記号。誰もその意味はわからないという。


   そこで私は試しに、ユリの蕾をひっくり返して村人たちの前で咲かせてみせた。「ひい、残酷」という声があがった。しかしやがて彼らは慣れたのか何も言わなくなり、蕾と組み合わせて墓花にするための小菊を集めて持ってきた。そして私が組んだ墓花に値段をつけて路地に置くのだ。「小菊たちもこうきちんと扱う事で自我を持ちます」などと言い出した。


   それが糸口となり、彼らの記憶をたどる事に成功した。私はその記憶の中に意識を移してそれを見た。何十年前かの村の小学校の校庭で、十歳ほどのかつての村人たちが大きな穴を掘っていた。その大きな穴には大人から子供まで十人ほどが目を見開いたまま死んで横たわっていた。


   掘っている者たちの仲間の一人が、手に銃器を握り扱い方を隠語にして繰り返し唱えていた。それは実験で導き出した記号の読み方にそっくりだった。


   どうして殺したのか。私は記憶を過去へ遡る事にした。現れたのは隣町の商店街だ。隣町では、商店街で登録するとナカマというものになる事ができるという。大量殺人はその登録権を奪うためのものだったようだ。


   ナカマになると、他のナカマとの間で暗黙のうちにおぞましい侵害が行われるという。私はその内容を知って戦慄した。人々は干渉し合い、良き振る舞いを期待し強制するのだ。


   十歳そこらの子供達は、ナカマ登録権を奪い別の子供に与えるために、その後もたくさんの村人を殺し続けた。


   時を経て小学校は廃校になり、小学校跡ホテルとして隣の病院跡ホテルとともにこの村の唯一の産業となった——。私はそこで意識を外した。このような恐ろしい事件に関わるべきではないと強く感じたし、自身の疲労も酷い。そもそもといえば私はこの場所に病院跡ホテルを目当てにやって来たのだ。そう思い出し、そのホテルに向かうことにした。


   たどり着いたその建物は何年もまともなメンテナンスを行ってないためいまにも崩れそうだった。門近くにはなんの変哲もない木の枝が刺さった大きな透明の花瓶がいくつも並んでいた。雨ざらしのため中にはゴミが混ざり、枝は落ちそうにプカプカ浮いている。装飾どころか呪術のたぐいの様であると思った。


   建物の中では体育館みたいな広い一階に、かつての子供達である村人とその子供が粗末な木の小屋を建ててボロをまとって暮らしていた。彼らは薄いスープの様なものを食べ、ほとんど喋らなかった。しかし、彼らが唯一夢中になっているものは歌であるらしい。毎晩夜になると中庭でコンサートが開かれていた。機材は粗末で、何がどうなっているのかわけがわからなかった。一人が音の途切れるマイクを持ち歌い、なんの楽器だか全くわからないが、何かを演奏しているらしい音がいくつも繋がったボロボロのスピーカーから響いていた。だが演奏している人はどこにもいない。歌う一人を五、六人が囲んで座り熱心にみつめているだけにしか見えない。


   やがて歌う者が交代し、取り巻く五、六人も交代した。また同じような音がスピーカーから響いた。不思議に思って近づいて見ると、取り巻く五、六人が手を細かく震わせていることに気づいた。他のものたちに尋ねると、そうやって念波を送り演奏しているのだという内容のことをいった。私は嫌になってきたため中庭の隅まで行って座り込んだ。同時に乱闘が始まった。歌っていた者と別の歌う者、五、六人と別の五、六人とで各々つかみ合い大きな声が響いた。


   私はこの村に来る前に通った別の小さな村の事を考えた。いまいるこの村にやや近く、現在の日本の首相の出身地だがあまり知られていない。この村の秘密と関係があるのかもしれない。美味しい蕎麦を食べられる店が一つだけある様な村だ。蕎麦を食べに行こう、そう考えて私はその場を離れた。

2011927日の夢]


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私の夢には度々花を折る、むしる、分解するといった行為が登場する。花はふつう植物の生殖器官なので、なんだか象徴的といえば象徴的なのだが、私に限って言えば実家の生花店の手伝いで以前から花をいじる機会が多かったためだと思う。

ユリのつぼみは分厚い花びらの辺が重ならず接した状態になっているから、比較的簡単に剥がすことができる。廃棄する花でよく遊んでいたから感覚的に知っているというだけで、妙な性癖や願望があるわけではない、と思うのだが。


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映画「アブラハム渓谷」で主人公のエマがバラの花に指を押し込むシーン