尊大な魚

    私は中学生で、友達のロッカーの使い方にブチ切れていた。「何そのしまい方」「別にいいじゃん」と互いに怒鳴りあった。しばらくして怒りが冷め、気まずいなと思っていると友達が画用紙を持ってこちらを見ている。画用紙には「温かいからあげ」と書いてあった。どうやら一言ギャグを書いたつもりらしい。そのまま見ていると、画用紙はどんどんめくられていった。何枚目かの「すごく遠くの牧場」で私が耐えきれず笑ってしまい、仲直りした。

    気分が良いので何か特別なことがしたいと思い、放課後一人で洞窟に行った。地底湖に大きな岩がある。しかしよく見るとそれはニシキヘビをくわえた茶色の巨大な魚だった。ほとりに200000000(中略)00000000mと書かれた立て札があることに気づいた。これではゼロがいくつあるのかわからない。辺りの岩には魚の分泌物が結晶になって付着していた。白、赤、青に輝いており宝石のようだった。

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    あんまりきれいなので、魚にばれないようにこっそり集めていたが、ふと魚に目をやるとこちらをじっと見ている。慌てて「綺麗な石ですね。せっかくなので並べておきますね」とごまかし、並べているふりをした。すると魚の方から「そんなんじゃだめだ。単純に色で分けようなんてのはセンスがない。形と色を含めてそれの表すものを考えたまえ」と聞こえてきた。しばらく考えて、赤くて尖っているものと白くて丸いものは同じだということに気がついた。私は「勉強になります」と魚に言い、長い時間をかけてそれを分類した。

[2011年11月16日の夢]


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    哲学関連の書籍で知られる永井均さんが先日、ツイッターでこんな発言をしていた。

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ここで語られている「いたち」は色と形が完全に連動したものなので私の夢で魚が言ったものとはちょっと違うけれど、どこか共通したものを感じて面白いなと思った。

永井均さんの本は、『私・今・そして神――開闢の哲学』などを少しだけど読んだことがあって、すごくいいなと思っていたのできっと影響を受けていたのだろう。

このツイートで詳細されている本は未読だけど、読んだら魚の言っていたことがより理解できるかもしれないのでぜひ読みたいなと思った。