電車製の街

   電車で来ることができる最も遠い場所、と言われている「果ての地」にやってきた。ここでしばらく暮らそうと考えての事だったが、私はこの土地についてほとんど何も知らなかった。私だけでなく、ここに来るすべての人がそうだった。そもそもの情報量からして不足していたからだ。

    到着してまず、ここから出る電車はないということを知った。駅員に聞いたところによると、たどり着いた電車の車両は全て回収・分解されこの街の資源となる。それでもたくさんの電車がやって来ることがこの土地の誇りだそうだ。

    街を歩くと、建物の壁や窓、看板、路上の街灯やカーブミラーなどに車両の部品が使われていることに気づいた。吊り革を使った手提げ鞄の店なんていうものもあった。私はできたばかりだという高層ビルを訪れた。展望台とホテルとコンサートホールが入っていて、やはり解体した車両から作られているが、あえて電車感を出さず現代的なデザインにすることで意味を解体し云々ということだった。

    コンサートホールの入り口に映画上映中、と書かれた立て札があった。窓口でなんの映画がみられるのか聞くとパンフレットを渡される。「猫探偵の大冒険」というタイトルで、何だかつまらなさそうだと思い、やめときます、と言って返す。すると窓口の係は「どうして猫の映画を上映しているか?それはこの街の……」「猫探偵というのはそうした消費社会における……」などと全く関係のない話を始めるのだ。ほかにもこんな映画を上映している、のところでさすがに怖くなってきたので「あの、お釣りもらえますか」と遮った。黙って微笑みを浮かべる係からお釣りを受け取る。

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    その場を離れてから、チケットを受け取っていないことに気がついた。引き返し、係が先ほど並べたチケットを一つ一つ確認する。「猫のカツアゲ」「猫の大乱闘」ーー。そこでふと我に返った。何かがおかしい。私はいつチケットを買ったんだろう?    この街には特殊な仕組みがあるのかもしれないと考えた私は、「果ての地」の自治体が行なっている講習を受けることにした。

    説明会が開かれた自治体事務所の小さな一室は参加者でほぼ満席だった。「まずはこちらをご覧ください」パンフレットが配られたが、なぜか受講者のプロフィールが並べられているだけだった。「何だこれ」誰かがそう言って席を立ち、何人かが後に続いた。その後、受講者による課外サークルの紹介が始まり、講習自体についての説明は一切ないまま説明会は終わった。釈然としなかったが、課外サークルの一つである自衛団には興味を持った。参加したかったが、講習の受講者しか参加できず、また今は受講を受け付けていないとのことだったため諦めた。

    しばらくして私は街の定食屋に職を見つけた。定食屋というのは表向きの姿で、その実はある闇の組織を倒すことを目的に作られた戦闘集団だという。自衛団のことを忘れていなかった私は、そのことを知ってとても嬉しく思った。私は二匹の「ちから」という生き物を与えられ、日々戦いに従事した。敵対する組織については一切教えてもらえないため、私たちが実際のところ正義なのか悪なのかわからなかったが、戦い自体にやりがいを感じていたので気にならなかった。私の身体は日に日にたくましくなり、ちからたちも大きく育ち化け物のような姿に変化していった。

    私が所属するチームはある日、日本のトウキョウという場所にある定食屋=戦闘集団の組織の本部に行く事を命じられた。私以外のメンバーは全員、街を出たことがないという。「もう戻ってこられない気がする」と一人が静かに言うので、私は「大げさだよ」と笑った。

    電車がないので、徒歩やバスで次の街まで出る。何日もかかってたどり着いたトウキョウで疲れ切った我々を迎えたのは、私には懐かしく、他のメンバーには真新しい国際都市の文化だった。誰かが「本部に行く前にさ、観光しようよ」と言った。もしかしたら誰もそんなこと言っていないかもしれない。とにかく私たちは夢中になって遊んだ。誰もが旅の目的を忘れているようだった。

    戦闘、闇の組織、どれもばかばかしく思えてきた。定食屋で世話をしていた二匹の犬のことが頭をかすめたが、もともと私が連れてきたわけではないし、責任を感じる必要はないだろう。しかし、どうして同じ「ちから」なんて名前で呼んでいたんだっけ?いくら考えてみても思い出せないのだった。

[2011年11月29日の夢]


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    私は電車の夢を本当によくみる。ここに書いていない、内容をよく覚えていない夢でも電車が出てくる割合がかなり高い。駅舎やホーム、車両自体とさまざまな電車に関連する場面を夢で頻繁にみている。

    思えば場所に関するものも多い。ある街について、ある地点から地点への移動について、空間の広がりについて、場所という概念、座標としての地点について、などなど。電車の夢は、場所間の移動と言う意味でこれらの一部とも言えそうだ。

    座標といえば、昔読んだ物理の本に出てきた世界線という概念が印象に残っている。宇宙における位置と時間の推移を線で表すもので、例えば地球の世界線は太陽の周りを一年かけて回るため、位置(緯度と経度)を横と奥行き、時間を高さ(上が未来)で表す3D座標でみると、世界線は螺旋状に上へ向かって伸びていくことになる。

    本ではこの世界線に、現在から放射される光波が形作る未来光円錐と、現在にたどり着く過去光円錐というものもでてきた。未来光円錐の内部にあるできごとは現在からたどり着くことができ、過去光円錐の内部にあるものは私が訪ねることのできたことであるというものだ。

    このモデルは宇宙での空間と時間の隔たりを説明するものなのだが、なんだか面白くて、以来時々自分の世界線を図で想像するようになった。今いる地点から、放射状に広がる円錐があって、その中に間に合うできごとがあるなあ、とか、国を跨いで移動する時には世界線が大きく動いた、とか。言ってしまえば当たり前だけど、例えば私が台北にいたら1時間後の実家の夕食には間に合わないというのも、位置がずれて円錐におさまる範囲が変わったと言い表すことができる、それがなんだか楽しいということかもしれない。