虚像の家族

私はある田舎の倉庫で働いていた。あたりは農園で、店といえばチーズと缶詰と油と酒を売る小さな商店があるくらいの農村に位置していた。昼の休憩時間にその商店で買ったチーズを食べて煙草を吸うのが私のささやかな楽しみだった。

ある日の休憩中、いつものように商店の前で煙草を吸っていたら目の前に一台の車が停まった。中から降りて来たのは家族連れらしき3人で、運転していたのは15歳くらいの痩せた少年だった。少年は今にも泣き出しそうに顔を歪ませており、そのせいで体つきに似合わずとても老けて見えた。家族の方はもやがかかってよく見えない。商店の人が出てきて、少年はかつて母親と妹を自分の起こした事故によって亡くしたのだと私に話した。そのショックで少年は精神を病み、みかねた親族が虚像の「母親と妹」を用意したらしい。少年は彼女らを元の母親と妹とみなしているようだが、かつて自分が二人を殺したという事実も理解しているという。ちょっと残酷な話だと思いながら少年を見ると、彼は泣きながら井戸をくんでいた。僕はまた殺してしまったというような事をしきりに呟いていた。いろんな事が彼の中で混乱しているのだろう。

私は仕事に戻ると上司に呼ばれた。上司はひどく腹を立てた様子で、最近おまえの携帯電話の利用料金が高い、と言った。携帯電話の料金は職場に関係なく自分で払っていたが、最近高いのは事実なので謝った。すると彼は給料では足りないだろうから私のために借金をしたと言う。そしてそれを返すために休みなく働くよう命令した。携帯電話はその場で壊された。私は堪らなくなり、逃げ出す事を決意した。

村には果てがない。なのでただ道を進むと、同じ所に辿り着いてしまう。村を出るには、鳥居が歪んで縮こまったような赤い植物をくぐるか、暗い林か、丸太で塞がれたトンネルを通る必要があった。どれも不気味で嫌な感じがする。しばらく躊躇していると、見知らぬ男女が数人現れた。一人が「あなたも移転ですか」と言った。村から出ることをそう呼ぶらしかった。彼らは赤い鳥居をくぐり始め、私は後に続いた。

出たところは街で、ローマにそっくりなローマではないどこかだった。私はそこで歩きながら同行者たちにこの街での振る舞い方を懇々と聞かされ、うんざりしながら歩数を数えていた。

2011117日の夢]


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以前ここで、明晰夢を見る方法について書いた。今夢をみているかどうかを常日頃から意識する癖をつけるというものだ。私はこれを子供の頃やっていたが、いつかやめてしまった。

同時に行っていた夢を記憶するための習慣づけはその後も続けたので、こうして夢を詳しく覚えていられるようになったわけだが、こうした偏ったやり方のせいか、それとも偏り以前の問題かわからないが、私にはちょっとやばい傾向が見られるようになった。自分の記憶が、現実のものか夢のものかわからないのだ。

ふとある風景や物や人が浮かんで懐かしむ時、それが本当に存在するかどうか判断できない。誰かにこんなことを聞いた、こんな本を読んだ、それもあやしい。

私はある児童文学をずっと探している。小学校の転校生だったかが、主人公につきまとうという設定しか覚えていない。それ以外には、バスの後部座席からじっとこちらを見つめる不気味な表情の少年を描いた挿絵が記憶に残っている。

私はこの作品を子供の頃に読んだと思う。そしてその頃から、どうしてもまた読みたいと探し続けてきた。しかしこれも夢かもしれない、そんな本は存在しないのかもしれないとどこかで思う自分もいる。その度にひどく悲しい気分になる。