やはり海は嫌いだ(2)

(1の続き)

外に出て、バスに乗る。そこはタイの南部だった。洪水の様子はなかった。(※当時タイでは現実に大規模な洪水があった)バンコクに行くか迷いながらバスに揺られる。窓からは、ガネーシャ、仏陀、キリストといった具合に様々な「神」を祀る祭壇が通り過ぎて行くのが見える。ヒンドゥーの祭壇のところで降りたら、そこはインドになってしまうだろう。やがてほっそりとした仏像の祭壇が現れたので、ルーレットを止めるように手を挙げ、降ろしてもらった。こうして私はタイを引き留めたつもりだった。

ところが、見渡してみるとそこはデリーのマーケットだった。道の真ん中には、ござの上に横たわる綺麗な死体があった。鮮やかな緑のサリー。死体は時々目を開いて上半身だけ起き上がる。道行く人々から見物料をとっているようだ。その横にノートがあり、かつて生きていた時のその人物についての評価を書き込むらしい。どんなことが書かれているのか読んでみたかったが、死体以外の人は見てはいけないらしかった。そこに先ほどの親子連れが現れて一緒にラオスに行かないかという。バンコクだった場所にラオスができたので、洪水を避けるためにそこに行きたいのだそうだ。なるほどラオスなら洪水はしてないし、バンコクだった場所に行けるしというおかしな理屈が通るのだった。

ラオスに着くと是非同じ部屋に泊まろう、安く済むから、というので了解する。広く快適な宿である。しかし三日泊まって請求された額は、当初父親の方から聞いていた値段の10倍の三万円であった。腹が立ったわたしは父親を問い詰めるが聞いてくれずどっかに行ってしまった。人混みにあっという間に紛れてしまう。観光客や物乞いや何でも屋たちの協力を得て親子を探し出すも、なんともならなかった。

そこに友人が現れた。いきさつを話し、どうしたらいいか聞くと「ここら辺は今では物価がすごく上がり、煙草を吸えるのはあの高級寿司店だけなんだよ」ととんちんかんな事を言うのだった。なんだかどうでもよくなって、ベンチに腰掛けた。友人も隣に座り、ご機嫌でプロジェクトのレポートをまとめていた。しばらくして、「今日は異邦人の記念日だね」張り切った様子でケーキ屋に私を引っ張っていったが、店内に入ってから私が「甘いものはあんまり」と言うと黙ってしまった。

2011118日の夢]


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メモ代わりに始めたこのブログだが、ほかにコンスタントに続けているものがないため、目下私の主な活動になってしまっている。なので、初めて会う人などに「何か(創作活動を)やっていますか」と聞かれるとこのブログを教えることになる。

そうしているうちに夢日記がまるで自分の軸のように思えてきていた。自分でも忘れてしまいがちだが、私はもともと詩を書いていたのだった。

どうせなら、詩もどこかに記録していきたいと思うのだけど、ここにいきなり載せたら唐突だろうか。とはいえほかにブログを立ち上げたら、煩雑で余計更新が滞るだろうか。そういったことが現在の悩み。