猫人間と性産業

 書物から書物へと日本の歴史を辿るうちに、ある絵巻物の世界に入りこんでしまった。墨で描かれた猫が何百匹といる。何もないところから声が響き「猫の耳の位置と形に真実を聞き取り幸福をもたらす性質があるということがわかり、人々は猫の耳をつける様になった。人の猫化の始まりである」と言った。

 人々は猫の子を産むためにがんばった。その過程で男性器はなぜか巨大化し、性産業がオープンで狂ったものになった。このような歴史が上書きされた。私は絵巻物の中でそれらを体験した。狂った性産業に巻き込まれて酷い目にもあった。歴史の変更により、物語が進むとやがて私は猫人間になった。高いところに簡単に登れたが、降りるのはまた別であった。
[2011年9月28日の夢]

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子供の頃、猫とコミュニケーションが取りたいと考えていた。人間のもとで育って人間と会話ができるように、猫にしっかりと向き合えばそれが可能だと思い、飼い猫に絡み続けた。また、自分は猫と思い込んで振舞うことも忘れなかった。でも結局猫の考えていることはよくわからなかった。なので夢の中とはいえ、半分猫になる体験ができたのは少し嬉しいことだった。

幼児退行エレベーター

 大きな建物にホテルといくつかの商店が入っていて、私はそのホテルの一室に閉じ込められた。部屋にはほかに誰もいなかったが、私は「精神薄弱者と暮らさなければならないなんて、あんまりだ」と強く思っていた。ベッドの端が乱れていて、それを狂人のしわざと考えていた。ある時目覚めると私の顔を1人の男が覗き込んでいた。私はそれが堪らなくなって部屋を飛び出した。

 駐車場へ出ると、私は柴犬ほどの小さな人間を連れていることに気がついた。小さな人間はまるで人形のように動かなかったし、ともすると本当に人形だったのかもしれないが、私には生身の存在感をもって映っていた。私はその小さな人間を抱えて歩いた。

‌ 「外」へ行くためには、「隙間」を通る必要があると考えた私は、車を運転して壁に寄せた。別に閉ざされてもいないその狭い空間を「隙間」として通り過ぎるために。小さな人間を抱えて車から降りるのは難儀だった。腰ほどの高さの壁の上にひとまず小さな人間を乗せた。手を離すとそれは力なく倒れ地面へ落ちかかった。咄嗟に掴みあげる。硬直していたが、生暖かい人間の感触をはっきりと感じた。再び壁に、今度は広さのある所に置くと、それははっきりとした足取りで歩き出し車のドアに挟まって動けないでいる私を置いて行ってしまった。一人になった私は、外へ向かうのは無理なんだと強く感じ、建物へ戻ることにした。

‌ 建物の1階にはスーパーがあり、花の苗が売られていた。コールラビや芽キャベツといった珍しい植物が揃っている。よく見ると貼り紙があり「売れ残った種を勝手に植えてしまいました。すみません」と書いてあった。私はミニニンジンの苗を撫でた。

‌ 建物を上に進んだが、なぜだかホテルフロアには上がることが出来ない。私が見つけた階段もエレベーターも、それより上の階へは繋がっていない。そこで私は、通りがかりの給食のおばさんに助けを求めた。無言のおばさんに給食用エレベーターに乗せられ、薄暗く狭い空間にうずくまり上へ進む。私はその間に子供の姿になっていたようだ。子供になった私が部屋に戻ると、例の男が服を着替えさせベッドに寝かしつけた。
[2016年4月の夢]

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一年以上このブログの存在を忘れていて、久しぶりの更新です。私はとにかく忘れっぽいのだが、携帯を変えたところ2台前のデータと同期され、メモ帳によくわからないメモがたくさん出てきて大変驚いた。その中に夢メモがあり、ブログのことを思い出したわけです。

最近は自分の夢にあんまり注意が向けられていなかったが、今回ブログの記事やメモを読み返したらその時の夢の雰囲気が思い出されてとても楽しく、やはりたまには記録したいなあと思い直した。またところどころ描写があいまいなせいでイメージを思い出すのに時間がかかるところがあり、工夫したいなと思っている。

 

バーチャル宿ガイド

タイバンコク旅行ツアーに参加することになった。ツアーだが宿は自分たちで探さないといけない。私は一緒に参加する友人と2人で泊まる部屋を、バーチャル宿ガイドで調べることにした。
バンコク市街の映像データの中に入り込み、宿のひとつひとつを見ていく。再現された街並みは、何度かバンコクを訪れたことのある私が知っているものとはずいぶん違っていた。空間が凝縮されているせいか、平地も坂の多い地形のように表示された。
しかしいくつかの宿には見覚えがあった。そのうち屋内に人口ビーチがあるホテルは、かつて私が夢でみたものだ。ロビー全体が砂浜で、利用客たちは竹で編まれたベッドに寝そべり頭上のテレビをみながらバカンス気分を楽しんでいた。私は魅力を感じながらも、個室にシャワーとトイレがついていないことからこの宿を候補から外した。
結局決めたのは、市内中心地にある大きな作りの一軒家を改装したホテルだ。中を調べるうち、ここもまたかつて夢に出てきた場所であったことがわかった。以前夢に見た時はホテルではなく、安価で部屋を貸す相部屋式シェアハウスだったが。そうかあの建物がホテルになったんだ、と夢の中で思った。
予約するにあたって、宿のおやじとバーチャル空間の中で会話をする。画像の継ぎ接ぎで再現されたおやじの顔は、いびつで不気味だ。なぜか私は緊急時の対応についてしきりに確認する。おやじプログラムが混乱し、映像が乱れ余計グロテスクな見た目になった。
ここで場面が切り替わる。謎格闘技、祭典。そして猿の森。無数の猿が木の枝にいる。私はその1本に登った。すると人間を知らない子猿が1匹、私めがけて飛んできた。あ!っと伏せる。猿は肩にしがみついた。しばらくじっとしていると、私の体を軸に蜘蛛の糸のようなものをからませ、あっという間に巣を作ってしまった。私は繭に包まれ、猫のような柔らかくて温かい小猿の体温を感じながら巣としてそこにいた。
気づくと私はバンコク旅行の最中なのだった。友人とテーブルで食事をしている。皿には人間の腕ほどもある赤い棒状のものが載っている。端はかたくごつごつしている。触れてみて、骨だとわかる。だが同時にこれは蟹だということもわかった。食べなよ!と勧める。友人はひといきで2本あるうちの1本を平らげた。私はそれを見て満足した。
予約した宿を探さないといけない。私たちは感覚を頼りに歩き回った。バーチャル宿ガイドで見える景色は実情とはずいぶん違うので大変だ。それはもう謎解きのようなつもりで臨まなければいけない。バーチャルと現実の何が対応しているかを理解し、こちらの言語に変換する必要があるのだ。街並みは次第にイタリアの雰囲気に変わっていった。これはバーチャル世界の読解が現実に干渉したためだ。私は、もうおやじの宿は現れないとわかった。おやじ本人は噴水のある広場に出現するが、宿は無理だろうということが摂理として強く理解できた。
時空は混乱を極めた。私はインターネットに取り込まれてしまった。リンクする情報が積み重なって空間を作っていた。たとえば私は、今は亡き人物のウィキペディアを同時に現れた存在として見た。子ども時代の彼と生家、彼が設立した学校、没後建立された石碑、が同時に存在した。消された情報は祠でふさがれアクセスできない。彼の情報空間には新しいもの古いもの様々な祠が並んでいた。
やがてそこにいた人々は、彼の学校の設立式典に出かけていった。私は暇に任せて近くにあったアクセサリー店をのぞいた。濃くくすんだ桜色か藍色の小さなガラス玉が付いたネックレスが並んでいた。隣にいた女性は、これは和紙で出来ている、くすんでいるのは和紙のうんちが混ざっているからだと話した。和紙のうんちって何だろうと思ったが、聞かなかった。女性は、これが欲しい?欲しいならあげたい。こういうものを誰かにあげて、身につけてもらえたら幸せだと言う。私は意味がわからず、かといって断るのも女性が不憫に思え、その場に立ち尽くした。
[2016年5月16日の夢]

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これまで夢日記はなるべく日付順に載せるようにしていたが、 今回は直近のものを載せてみた。 前回も比較的最近のものを使ったが、これはもっとできたてほやほや、書き下ろしたてである。

朝目覚めて、たくさん夢をみたと認識し、慌ててスマホのメモ帳に箇条書きで記した。「タイ旅行宿探し・ビーチ付き宿・おやじプログラム・緊急時確認・謎格闘技・祭典」といったような具合だ。
それを昼休みと退勤後に文章に起こした。残念ながら、謎格闘技と祭典については全く思い出すことができなかった。

ほかにもところどころ失われてしまった細部が存在した。例えばタイがイタリアになりつつある場面。何かがあったのだが、わからない。記憶の前後を探っても辿れないし、推測することもできない。実際に目で見たわけでも体験したわけでもないからだろうか。夢は起きてすぐに細部を振り返らないと、無かったことのようになってしまう。

しかし不思議なのは、このように自分の元から消え去ってしまったと思える夢のイメージが、別の夢の中で復活することだ。今回の夢にはそれが2つ出てきた。屋内ビーチのあるホテルと、一軒家を改装したホテルがそうだ。どちらもこの夢に再び登場するまで、すっかり忘れていた。おそらく夢日記にも残していなかったと思う。

夢日記に残せなかったものはほとんどが記憶から消え、もう二度と現れない。そう思っていたが、今回また出てきたことでかつての夢の内容も含めて、はっきり思い出すことができた。しかも、夢の中でそれを思い出していた。これは不思議なことだ。

もちろん、以前みた、というのが単に夢での設定である可能性も捨てきれない。ホテルのことを書き残した記録がない以上、証拠がない。しかしそれは、今回についていえば、だ。実は私にとって、同じものや場所が再度夢に出てくること自体は珍しいことではない。実際に何度か経験している。それについてはまた別の機会に紹介しようと思う。

今回の2つのホテルがもし本当に以前夢で見たものだとして、それまですっかり忘れてしまっていたような記憶を、どうして夢の中で思い出したりするのだろう。またもし以前みたという認識も含めて夢だったとして、どうして夢の中でデジャヴのようなことが起こるんだろう。そんな事を考えた。

記憶の書斎

大きくゴージャスな書斎をあさっていた。暖炉の石をさわったり。そこにあるすべてに何らかの記憶が閉じ込めてあるため、ひとつひとつの内容を確かめようというわけ。
[2016年4月4日の夢]

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このブログを始めてから、リアルタイムの夢日記も再開した。今回久しぶりにブログを更新するにあたり、スマホのメモ帳をあさっていたところそれらの記録に辿り着いた。

最近のものとはいえ、読み返すまですっかり忘れていたものばかりだ。ところが読むとたちまち、夢の感触が蘇る。先にあげた夢の内容は、まさにこのことを表しているように思える。

人は毎日いろんなことを体験し、 さまざまな記憶を蓄積する。生きていくにつれ、多くは忘れてしまうが、何らかの記録があると思い出すことは少し容易になる。日記や写真がそうだ。

そして夢日記は、通常の日記や写真が時に記述された以上のことを思い出させてくれないのに対し、 全体を空気感ごと保存できるように思う。 今回載せたもののような、ごく単純なものでさえだ。

私は夢自体が、情報を高密度に閉じ込めた結晶のようなものだと感じている。しばらくするとバラバラになって忘れてしまうが、夢日記として記録することでそのかたちを留めることができるのだ。いつでも取り出せ、触れると鮮やかに輝き出す。私だけに作用する、概念標本コレクションだ。

人間の整理

自分の体が分裂して二つになり、もう一人の自分が線路に飛び込もうとする。それを必死になって押さえつつ駅員を呼んだ。しかしその駅員は邪悪な存在だったためもう一人の私を人形にしてしまった。
人形になった私は制服のようなものを着て歩き始めた。どこに行くの?もう自殺しない?と聞いたが返事はなく、私を睨んでどこかへ去っていった。
その後、河原で地蔵に囲まれながら人間の整理をしていた。人間の整理というのは、工作のような作業を通してこの世界の人間たちを動かすというものだった。
[2011年9月12日の夢]

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残業続きで疲れきっており、今日はトイレで寝こんでしまった。食欲がないので昼は米粉にした。薄味の汁入りビーフンで、白く柔らかい麺が咀嚼しやすい。なんだか物足りない気がしてピーナッツを増量したものの結局残した。
と、どうでもいい食事事情を書いてしまった。今日載せた夢はこれまた『KOMA―魂睡 』のようだ。この作品にも地底で機械を操作することによって人間を操る存在というものが登場する。そもそも人間というのはいろいろな要素が動かす機械のようなものだとよく言う。このような描写はそんな生き物の仕組みにも当てはめられそうで面白い。
自分の中に、KOMAに出てくる怪物や先の夢の地蔵のような存在がいたら、と考えると愉快だ。

砂漠に海を作る

砂漠地帯で仏花を作る仕事をしていた。ある日砂に曲線を引いた。すると線の両端が粒状になった。手で撫で粒を追いやると、水が満ちてきてたちまち海になった。形が気に食わなかったので逆向きに撫でたところ反対側が海になった。たくさんの海水浴客とサメが現れ、サメが人々を飲み込んで人形になった。
[2011年8月29日の夢]

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このごろは毎日終電ぎりぎりまで残業していたが、先日ついに終電を逃した。終電がなくなる間際から30分以上は流しのタクシーを捕まえることが出来ない。路上はタクシー難民で溢れかえる。

深夜バスを待とうとしかけたところに、1台のバイタクが現れた。一旦興味を示し、やっぱり高いし怖いしバスにするわと言うことで値引きさせることにした。あげくやりすぎてタダになってしまったが、それも気分が悪いのでタクシーより少し安い金額でよしとした。

バイタクにはこれまで何度も乗っているが、ヘルメット無しの二人乗りで走るのはやはりちょっと怖い。だいぶゆっくり走ってもらったものの、 車の間を縫い時には信号無視をするので肝を冷やす。だがあっという間に帰宅できた。あのまま深夜バスを待って帰宅していたら少なくとも1時間は余分にかかっただろう。

粒子お父さん ほか

「お父さんがあんたの為に粒子になりかけてんだから応援しなさいよー今右半身だから」っていう親子三人組
[2016年6月29日の夢]

みんなの夢の端に「テスト放送中」と入力する仕事
[2016年7月13日の夢]

葬儀屋の営業トークに負けて、「じゃあ明日葬式します」って言っちゃって、誰の葬式にしよう?と慌てた
[2016年7月14日の夢]

スーツ姿の男を殴り続けたら機械になって「ハズレ」と表示された
[2016年7月15日の夢]

濁流の川に墓花を植える仕事をしながらクイズ「殺される時のこの男の言葉はどれでしょう」に答える。「これがあの世か」を選んで不正解、正解は「……」でした
[2016年7月29日の夢]

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このブログに載せている夢はいずれも寝て起きてから記録したものだ。多くが起きがけに見たものだろう。だがこれから寝るという時、うとうとしている時にも夢のような何かを見ることがある。そのほとんどが、イメージがうかぶだけというものだ。

このイメージというのは、多くがそれまでに見たことも考えたこともないようなものだ。それが細部まではっきりした形で突如現れる。頭に浮かぶ、というより見る、と言った方が正しいかもしれない。昨夜脳裏に現れたマンホールのようなコインのような金属の板状の顔から縮れた麺を大量に吐き出す謎の存在、は思いついたのでなく目撃したのだ。

このマンホールマンなどは文字にしてみると大変間抜けだが、見ている本人にしてはなかなか恐ろしい。まさに眠りに入ろうという脱力しきったさなか、無に落ち込む意識に絶対的な存在感で現れ私を脅かすのだ。

私はこれを、夢の一種として認識している。意識せざる幻だからだ。とはいえ夢と言っては語弊があるし、また適切な語がないため名前を付けた。形しかないものなので、夢像だ。ゆめぞう、なかなか可愛い響きである。これも記録したいけれど、眠い中スケッチするのが面倒でなかなかできていない。