空中庭園タクシー

人々がものすごいスピードのレールに乗って人生を生きている。死はレールが途切れるとやってくる。レールの先は暗闇になっていて、そこへ放り込まれるのだ。自殺すれば、別の世界へ引き上げられる。その世界は緑とピンクの極彩色でできており、サイケデリックな趣き。中でもひときわ悪趣味なデザインの車を真ピンクの空に飛ばしているのが、空中庭園タクシーというタクシー集団だ。「あの人たち、ここの胞子で病気になっちゃったんだって」そういわれて見てみると、運転手たちは顔が瘤で埋め尽くされて目も鼻も口もわからないのだった。
[2011年2月3日の夢]

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ひどい風邪をひいた。熱もある。咳が止まらなくて、むせる。数日後には声もおかしくなり、かすれたような囁き声しか出せなくなった。 しかし酒を飲みたいために風邪薬を飲まなかった。 大人しくしていてもどうせ長引くからとライブハウスだのクラブだのと毎晩遊び歩いている。声が出ないことには慣れてきた。ささやき声でも意外と伝わるのだ。

私は風邪をよくひく。毎月ひいてるんじゃないかとおもう。しかも一回なると1週間、2週間と不調が長引く。1年の多くを風邪が占めている。こうなると、風邪は私にとって重要な要素であるといえる。私を語る上で欠かすことのできないキーワードみたいなものだ。この切り口によって、自分というものが深く理解できるかもしれない。今まで特に意識していなかったけれど、風邪をひいているかそうでないか(発熱しているかそうでないか)は私の判断や行動を振り返るうえでまず見ておくべきポイントとしてもよいのでは…などと割とどうでもいいことを考えた。

暴力花と茹でもの

ユリ(植物の)がケイトウ(植物の)をむしるので、ユリを真っ二つに折った夢をみた。目が覚めると小さな女の子が「見たよ。ユリを殺したの」と脅してきて困ったのでユリがケイトウを殺しかけていた証拠を捏造した
[2010年12月13日の夢]

大きな鍋に5cm程のヒトや虫や犬やネコを茹でては出して生死を確認する作業
[2010年12月1日の夢]


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一つ目は、夢の中で夢を見ていたというもの。映画『インセプション』に出てくる話のようだ。ただその映画では夢の中で夢をみて、さらにその中で夢をみて…といったかたちで何重にも夢をみることができていたのに対し、私の夢は"レベル2"(夢の中の夢)どまりだが。これがもし明晰夢だったら、どんな感じがするのだろう。
ケイトウというのはニワトリのトサカに似た花(正式には花穂というらしい)をつける植物のこと。漢字で書くと「鶏頭」だ。この花穂はかたく詰まっており、むしるには骨が折れそうだ。夢の中でユリはむしっていたけど、私はむしったことはない。ちなみにユリの雄しべの花粉をプチプチ摘み取るのは好きだ。雄しべの花粉は服につくとなかなかとれないので、皆さんもプチプチ取ったらいいと思う。

湿気が高いアル

うどんを打ちながら誰かと闘ってたんだけどどうしても足をとられてしまって敵わなくて「空手もムエタイもダメだ!中国行ってくる!」と叫んで高洲という名の三角州地帯に辿り着いてマクドナルドでスープを頼んだら虫が入ってて中国人の若い女性店員に言ったら「湿気が高いアル」で流されて「クッソー!!」ってなった。
[2011年5月30日の夢]

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武田泰淳の『蝮のすえ』を読み返した。戦後の上海で代書屋をしながらもやもやを抱える男がすがってきた美人とその死にかけの夫と共に日本へ引き揚げるまでのあれこれを描いた小説だ。
男のもやもやもいいが、美人がすごくいい。辛島という豪傑にいいようにされながら、病気の夫を抱えながら、主人公をたぶらかし意のままに操ってちゃっかり日本行きの船に同行させる。会ったばかりの主人公に好きだと言ってキスしたり、寝たきりの夫に別れると言ってヒステリーを起こしたりとずるいところだらけなのだが、必死な姿に健気さを感じてしまう。
戦犯として処刑されることが確定しながも強者としてふるまい、夜道襲われて死ぬ段になると震えて女の名を呼び続けた辛島、死にゆく体を抱えながら恩人に悪意をぶつける病人、この2人も強烈だ。無様だが生の感触があると思う。
対して主人公はどこか弱々しく、それが物悲しい。夜道でゴリラの物まねをし、強くなった気分を味わうシーンなどは特に胸にくる。強がってみるもののインテリー(辛島が好んだ表現だ)の枠から出ることはできず、人生を変えると思われた辛島殺しも中途半端な形でしか成しえなかった。
生きていると、これはと思う局面にぶち当たることがある。そこでどこまで必死になれるか、ずるくなれるかに人生の色々が詰まっていると思う。私はずるさに憧れるが中途半端にしかできない。それも、辛島を斧で打つどころかゴリラの物まねで精一杯だ。

伝説を食べる実験

トラブルに巻き込まれた親戚が相手側をたかりだしたという。私はそんなことはいけないと、代わりに謝罪をしに行った。すると相手は3300円で話をつけてやる、と言うのだ。私はその態度に激怒した。「それくらいの金額なら払うとでも思うのか、ふざけるなお前らもうここには住めなくなるぞ」と怒鳴った。戦いが始まった。
相手側は紙の人形を送り込んできた。殴っても殴っても起き上がってケタケタ笑う。きりがないので車で逃げた。すると警察が追いかけて来、私はたまたま見つけた洞窟へ点となって入った。
洞窟の入口には「これはもちろん女性器の隠喩ですが、なにを想像するのもあなたの自由です」という立て札があった。私は気にせず、奥へ奥へと進む。点になった私は、時間と空間を越えて移動することができた。辺りには、チョコレート、かもめ、といったものの概念が象徴的に浮かんでいた。それらを一つずつ確かめ、進んだ。
しばらくして気づくと、私は別の人間になっていた。例えば子供で、集団で管理されていた。その時その集団は「国の国」という所の、伝説、民話を食べるという男の元で伝説を食べる実験をしていた。トレーに乗った肉団子とカレーのようにみえるものが配膳された。カレー(のような何か)には虫のようなものが無数混ざっていた。褐色で、米粒に節がついたような形。艶があり柔らかそうだ。男はそれを指し「これは妖精であり国を作ったいわゆる君たちの祖先である」と言った。
はあ、なるほどと思いつつどうしても食べる気がしなかった。吐き気が身体中を巡った。周りを見ると不思議そうな顔をしながらも無言で食べている。私は仮病を使って残すことにした。組織を管理するものにそう伝えると、難なく許された。
ところが例の男が去ろうとする私にたちはだかった。厳しい表情で私の顔を覗き込んだ。私はええと、実は…と弁解しようとした。しかし男はそれを遮りなるほど、それなら構わないと言った。そして周りを憚りながらこう耳打ちした「次は、一人で来なさい」。私は壁に掛かった伝承一覧の図を眺めながら、次までに伝承に詳しくならなければと思った。
[2011年8月28日の夢]


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子供の頃から見た夢をよく覚えているほうで、夢の不条理で不思議な世界に興味を持っていた。ある日図書館で面白科学的な本を読んでいたら、こんな文章が目に飛び込んできた。「明晰夢の見方」。明晰夢を見るために習慣づけるべき項目が並んでいた。
私は必死にメモをとり、その日から明晰夢をみるために項目のことがらを実行した。やるべき事は大まかにいうと「目覚めたら夢の内容をじっくり思い出す」「詳細に記録する」「常時これは夢かそうでないかを意識する」の3つだ。
しばらく続けるうちに、夢の中で「これは夢か?」と考えることができた。そしてさらにしばらくして、「これは夢か?」の後に「夢だ」と気づくことができた。
夢の中で夢と気づく体験はなかなか面白いものだった。しかしかといってなんでも思い通りになるわけではないし、これはつまるところ「夢だと気づいている夢」を見ているのにすぎないのでは?と考えるようになった。それはそれで楽しいこともあるだろうし、続けていたら「夢だと気づき内容をコントロールしている夢」をみることだってできたかもしれない。でも当時の私は明晰夢への興味をなくしてしまった。訓練によってたくさん覚えていられるようになった夢そのものの方が強く私を惹き付けた。
大人になってからも時折夢の記録をつけた。ツイッターを始めてからは、ツイートで記録した。紙やPC、携帯、スマホに記したぶんは残っていない。紙はなくしたし、パソコンや携帯は壊れ、iPhoneは上海で盗まれたからだ。ツイッターに残した分はまとめてプリントアウトした。これもいつかなくすかもしれないので、このブログを始めました。

お節介おじさんと神の丘

インターネットをしていたら、画面に知らない人の顔が映り「断片の集積に何が見えるんだ」と言った
[2010年10月17日の夢]

てっぺんに張りぼての城があるほかは端も裏もない斜面だけの「神の丘」をかけ上がってコロコロする
[2010年11月4日の夢]

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今日の上海は雨だったので一日部屋で過ごした。洗濯をしたり、部屋の片付けをした。
私はいわゆるシェアハウスというところに住んでいて、友達でも何でもない人とキッチンやトイレを共有している。寝室は四つあるが、住人はもう半年くらい私とマッチョ広東人青年の二人だけだ。
私がここにやってきた一年半前、マッチョはまだマッチョではなかった。メガネの青白い若者で、ひょろりとした体型をしていた。しばらくしてジムに通いだし、みるみるうちにマッチョになった。共用スペースにも、素肌にジャージをひっかけただけといった格好で現れる。詳しくは知らないが、結構な頻度でジム通いをしているんだろう。
広東人らしくスープが好きで、毎日しいたけの出汁をとっている。弱火で長時間茹でるので、キッチンは常に私の嫌いなしいたけの香りが漂っている。洗っただけのトマトを「今日はこれだけ」といって部屋に戻っていくこともある。たまに高級な輸入肉を塊で買って焼く。上海では今出前アプリがさかんで、ローカル店の中華でもアプリで簡単に出前注文することができる。職場でも私の住んでいる小区(住宅区)でも、配達の人が出入りしているのを見かけない日はない。最近は出前専門の店も増えているという。でもマッチョが外卖(出前)してるところを私は見たことがない。
上海にはたくさんの外地人が住んでいて、色んな暮らし方をしている。マッチョは広東省から一人で上海に出てきて、私のような日本人と暮らすことになるとは思ってもみなかっただろう。色んな人生があると思う。

幼生ガシャポン

表現や思想の奴隷たちが暮らす施設の様なところにいた。そこでフクロウと山猫を殺す羽目になったり、既製品を否定して作られた作品がすごいからこの中から真似して作ってください他のは既成だからだめ!と強制されたりしていた。逃げようとするのだけど逃げられなくて諦めたそんな人たちで街ができていた。またそこには生き物の胎児や幼生が出てくるガシャポンがあった。ガシャポンの中では親が卵を温めていたり生まれたてを舐めたりしているが誰かがレバーを回すと子供が穴から落とされる。
[2011年5月11日の夢]


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昨夜は会社の飲み会で、誰かが撮る写真に変なポーズで写ることに夢中になった。後から1人と、私の行動についての話が噛み合わず言い合いになった。
私がだれそれの挨拶をしている最中にもふざけていた、というたわいのない内容だ。私はそれを否定して、どうでもいいやと思った。でも次の瞬間、自分でもどちらが正しいかわからないということに気がついた。たった30分前のことなのに、その時挨拶していた人の話した内容はしっかり覚えているのに、ふざけて遊んでいたかどうかはさっぱりわからなかった。
脳神経科医オリバー・サックスは著書『妻を帽子とまちがえた男』 で、人は記憶をつないで歴史や過去という「物語」を作り生き、そこからアイデンティティが生じるといったことを語っている。同書では記憶が数秒ともたない男が出てくるが、サックスは彼のことをバラバラの存在だと言った。連続した記憶がないため、固有の自己をつなぐことができないというのだ。ピエール・ワゼムのバンドデシネ『 KOMA―魂睡』に、自分が誰かわからなくなり数秒ごとに違う人間に変身してしまう描写があったが、まさにそのようなイメージだ。
私が「自分」であるために作り上げている物語、内面のドラマっていうのは一体どのように編集されているんだろう。ついさっきまでの自分の行動さえわからない、そんな頼りない"記憶"でしっかりした自己をつなぐことができるんだろうか。そんなことを考えてなんだか心細い気分になった。


舌が4枚あるサルバドール・ダリを殺した

サルバドール・ダリを殺した。直接手を下したわけではないけれど思ったら殺せた。舌が4枚あって真ん中から裂けていた。何かのせいで苦しんでいて、楽になりたいかと聞いた。舌のせいか返事はなかったが死ねるようにした。死んだら頭部だけになった。
その後、生垣や池の周りで全く同じ姿形をした2つの意思を持たない人形のような存在に追いかけられた。
[2010年11月15日の夢]

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今日の昼は、昨夜ネパール料理店で包んでもらったダルとチキンティッカとチーズボールを会社のレンジであたため、上海文化広場の花壇の淵に座って食べた。桃の花が眩しいくらいに満開で、それを目当てに人が次々やって来た。蟻も沢山いて、やはり春なんだなと思った。
春になると同じ場所でもそれまでと全く違って見えるから不思議だ。日本にいた時から、春先に外を歩いているとよく「自分は死んだんじゃないか。気づいてなかっただけで生きていないのではないか」という不安に襲われる。あんまり光が急にまして、辺りがのどかな柔らかい印象に変わるから、現実味のない作りもののように見えるのだ。しかしもしそれが死ぬ間際の夢かなにかだとして、それと気づいた瞬間に無になるのかなと思うとちょっと怖いなあ。