記憶の書斎

大きくゴージャスな書斎をあさっていた。暖炉の石をさわったり。そこにあるすべてに何らかの記憶が閉じ込めてあるため、ひとつひとつの内容を確かめようというわけ。
[2016年4月4日の夢]

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このブログを始めてから、リアルタイムの夢日記も再開した。今回久しぶりにブログを更新するにあたり、スマホのメモ帳をあさっていたところそれらの記録に辿り着いた。

最近のものとはいえ、読み返すまですっかり忘れていたものばかりだ。ところが読むとたちまち、夢の感触が蘇る。先にあげた夢の内容は、まさにこのことを表しているように思える。

人は毎日いろんなことを体験し、 さまざまな記憶を蓄積する。生きていくにつれ、多くは忘れてしまうが、何らかの記録があると思い出すことは少し容易になる。日記や写真がそうだ。

そして夢日記は、通常の日記や写真が時に記述された以上のことを思い出させてくれないのに対し、 全体を空気感ごと保存できるように思う。 今回載せたもののような、ごく単純なものでさえだ。

私は夢自体が、情報を高密度に閉じ込めた結晶のようなものだと感じている。しばらくするとバラバラになって忘れてしまうが、夢日記として記録することでそのかたちを留めることができるのだ。いつでも取り出せ、触れると鮮やかに輝き出す。私だけに作用する、概念標本コレクションだ。

人間の整理

自分の体が分裂して二つになり、もう一人の自分が線路に飛び込もうとする。それを必死になって押さえつつ駅員を呼んだ。しかしその駅員は邪悪な存在だったためもう一人の私を人形にしてしまった。
人形になった私は制服のようなものを着て歩き始めた。どこに行くの?もう自殺しない?と聞いたが返事はなく、私を睨んでどこかへ去っていった。
その後、河原で地蔵に囲まれながら人間の整理をしていた。人間の整理というのは、工作のような作業を通してこの世界の人間たちを動かすというものだった。
[2011年9月12日の夢]

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残業続きで疲れきっており、今日はトイレで寝こんでしまった。食欲がないので昼は米粉にした。薄味の汁入りビーフンで、白く柔らかい麺が咀嚼しやすい。なんだか物足りない気がしてピーナッツを増量したものの結局残した。
と、どうでもいい食事事情を書いてしまった。今日載せた夢はこれまた『KOMA―魂睡 』のようだ。この作品にも地底で機械を操作することによって人間を操る存在というものが登場する。そもそも人間というのはいろいろな要素が動かす機械のようなものだとよく言う。このような描写はそんな生き物の仕組みにも当てはめられそうで面白い。
自分の中に、KOMAに出てくる怪物や先の夢の地蔵のような存在がいたら、と考えると愉快だ。

砂漠に海を作る

砂漠地帯で仏花を作る仕事をしていた。ある日砂に曲線を引いた。すると線の両端が粒状になった。手で撫で粒を追いやると、水が満ちてきてたちまち海になった。形が気に食わなかったので逆向きに撫でたところ反対側が海になった。たくさんの海水浴客とサメが現れ、サメが人々を飲み込んで人形になった。
[2011年8月29日の夢]

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このごろは毎日終電ぎりぎりまで残業していたが、先日ついに終電を逃した。終電がなくなる間際から30分以上は流しのタクシーを捕まえることが出来ない。路上はタクシー難民で溢れかえる。

深夜バスを待とうとしかけたところに、1台のバイタクが現れた。一旦興味を示し、やっぱり高いし怖いしバスにするわと言うことで値引きさせることにした。あげくやりすぎてタダになってしまったが、それも気分が悪いのでタクシーより少し安い金額でよしとした。

バイタクにはこれまで何度も乗っているが、ヘルメット無しの二人乗りで走るのはやはりちょっと怖い。だいぶゆっくり走ってもらったものの、 車の間を縫い時には信号無視をするので肝を冷やす。だがあっという間に帰宅できた。あのまま深夜バスを待って帰宅していたら少なくとも1時間は余分にかかっただろう。

粒子お父さん ほか

「お父さんがあんたの為に粒子になりかけてんだから応援しなさいよー今右半身だから」っていう親子三人組
[2016年6月29日の夢]

みんなの夢の端に「テスト放送中」と入力する仕事
[2016年7月13日の夢]

葬儀屋の営業トークに負けて、「じゃあ明日葬式します」って言っちゃって、誰の葬式にしよう?と慌てた
[2016年7月14日の夢]

スーツ姿の男を殴り続けたら機械になって「ハズレ」と表示された
[2016年7月15日の夢]

濁流の川に墓花を植える仕事をしながらクイズ「殺される時のこの男の言葉はどれでしょう」に答える。「これがあの世か」を選んで不正解、正解は「……」でした
[2016年7月29日の夢]

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このブログに載せている夢はいずれも寝て起きてから記録したものだ。多くが起きがけに見たものだろう。だがこれから寝るという時、うとうとしている時にも夢のような何かを見ることがある。そのほとんどが、イメージがうかぶだけというものだ。

このイメージというのは、多くがそれまでに見たことも考えたこともないようなものだ。それが細部まではっきりした形で突如現れる。頭に浮かぶ、というより見る、と言った方が正しいかもしれない。昨夜脳裏に現れたマンホールのようなコインのような金属の板状の顔から縮れた麺を大量に吐き出す謎の存在、は思いついたのでなく目撃したのだ。

このマンホールマンなどは文字にしてみると大変間抜けだが、見ている本人にしてはなかなか恐ろしい。まさに眠りに入ろうという脱力しきったさなか、無に落ち込む意識に絶対的な存在感で現れ私を脅かすのだ。

私はこれを、夢の一種として認識している。意識せざる幻だからだ。とはいえ夢と言っては語弊があるし、また適切な語がないため名前を付けた。形しかないものなので、夢像だ。ゆめぞう、なかなか可愛い響きである。これも記録したいけれど、眠い中スケッチするのが面倒でなかなかできていない。

腐敗の神さま

これまでも夢に出て来たことのある場所と初めて出て来た所、それらの位置関係は知っていたが初めて歩いた。地下一階と二階という構造の神社は腐敗の神を祀っていて、枯れ草と死体だらけだった。消えた駐輪場、いなくなったはずのあの子のご両親、シャッター通り、親子で十年若返りお母さんに甘える男の子といったものが次々現れた。
[2011年6月28日の夢]

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声は回復しつつあるが、かすれ声からガラガラ声になった今の方が目立って悪く聞こえるようで、ほとんど出なかった時よりも人に心配される。本当にやばい時というのは人にはわからないものだ。

とはいえ咳はおさまらず、常時むせる。熱っぽさもある。体の中に悪い菌がたくさん住んでいて、支配されているような感じだ。

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▲風邪菌に支配されている私のイメージ図

怪獣との暮らし

小学生を誘拐して図書館の一室に住まわせ、その子の名前をたくさんの本の中から探し出した。私はプールの清掃の仕事に就き、その収入で養っていくことにした。
プールには毎日たくさんの子供たちがやってきて壁に落書きをして帰っていく。私は日々それを消す。仕事はそれだけだ。退屈なのでプールで怪獣を育てることにした。25mプールにちょうどおさまる大きな怪獣で、首長竜のような見た目をしていた。怪獣は骨を食べたがっていたが、私は毎日プールの水で茹でたそうめんを与えていた。
[2011年6月20日の夢]

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このブログでは、数年前に記録していた夢日記を少しずつ紹介している。夢日記だけだと親しみにくいかと思い、下にこのようなおまけ文章を加えている。内容については色々迷ったが、夢がメインのブログなので内的なものを扱うことにした。普段考えているあれこれや、夢に関することを書くといったように。だからあまりこうした、ああした、という出来事が主の日記とは趣が異なる。少しはそういうのも書いているけど。

夢日記にはところどころ書き直しを加えている。Twitterに載せていたとはいえ忘れないために急いでメモしたものだったし、ものによっては読みづらいからだ。端折っている部分を付け加えることもある。

不思議なもので、書き残してある夢はその風景や感触などを後から思い出すことができる。昔読んだ夢について書かれた本に「文字にすることでもうそれは違ったものになる」といったことが書かれていた。確かにそのとおりだと実感として思う。 本来時系列も因果関係もない夢という塊を言語のルールに則って編集していくような作業だからだ。 しかもそれは見た夢を思い出していくプロセスですでに起こっている事だろう。とはいえ、目覚めた時に思い出した手触りや気分というものは、その作業を経ることでいつでも取り出せるようになると思う。

空中庭園タクシー

人々がものすごいスピードのレールに乗って人生を生きている。死はレールが途切れるとやってくる。レールの先は暗闇になっていて、そこへ放り込まれるのだ。自殺すれば、別の世界へ引き上げられる。その世界は緑とピンクの極彩色でできており、サイケデリックな趣き。中でもひときわ悪趣味なデザインの車を真ピンクの空に飛ばしているのが、空中庭園タクシーというタクシー集団だ。「あの人たち、ここの胞子で病気になっちゃったんだって」そういわれて見てみると、運転手たちは顔が瘤で埋め尽くされて目も鼻も口もわからないのだった。
[2011年2月3日の夢]

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ひどい風邪をひいた。熱もある。咳が止まらなくて、むせる。数日後には声もおかしくなり、かすれたような囁き声しか出せなくなった。 しかし酒を飲みたいために風邪薬を飲まなかった。 大人しくしていてもどうせ長引くからとライブハウスだのクラブだのと毎晩遊び歩いている。声が出ないことには慣れてきた。ささやき声でも意外と伝わるのだ。

私は風邪をよくひく。毎月ひいてるんじゃないかとおもう。しかも一回なると1週間、2週間と不調が長引く。1年の多くを風邪が占めている。こうなると、風邪は私にとって重要な要素であるといえる。私を語る上で欠かすことのできないキーワードみたいなものだ。この切り口によって、自分というものが深く理解できるかもしれない。今まで特に意識していなかったけれど、風邪をひいているかそうでないか(発熱しているかそうでないか)は私の判断や行動を振り返るうえでまず見ておくべきポイントとしてもよいのでは…などと割とどうでもいいことを考えた。